129

輪ゴム

Rubber band

輪ゴムを発明した人は知らないが、輪ゴムを知らない人はいないだろう。ものをまとめたり、固定したりといった作業には欠かせないゴム製品だ。この素材であるゴムの発見が、大げさではなく人類の生活を変えたと言ってもいいだろう。ゴムと人との出合いはアステカ文化の時代まで遡るという。写真は、キャラクターの形をした遊び心のある輪ゴムだ。こういう商品を見かけると、つい買ってしまう。本来はその役目であるなにかを固定したり、留めておく役目なのだが、気に入ったものだと実はなかなか使えないものだ。結局、役目を果たさないまま使わなくなってしまう。だからこの輪ゴムの使い道は分からないままだ。でも想像できるのは、気づかずに輪ゴムをはずした途端、キャラクターの形に戻ったのに気がついたら、つい笑ってしまうかもしれないということだ。出来れば使う側ではなく、笑わせてもらう側になりたいものだ。


128

鯛焼

Taiyaki

なぜ、鯛の形なのかをどこかで聞いたことがあったが忘れてしまった。おそらくこのテのおやつ類によくある、○○説なる話が、オヤツには格好のネタなのだろう。ただ、めでたい…という印象が普通の発想だろうと思うが。一個づつ焼くのが天然物と言い、まとめて数個焼くのが養殖物と、通は言うそうだ。天然物と養殖物は焼き方の違いで、皮の焼き具合に違いが出て、味にも差が出ると言うが、比べてみたい気もするが、そう何匹も食べられないだろう。写真の鯛焼は、昭和25年創業の餡の専門店が販売しているもので、食べると中身の餡が良い味だった。餡は北海道産だと思うが、道産の小豆は全国でも有名で、中身にこだわる餡好きには、きっとたまらないオヤツだろう。一度食べてみたいのは、対馬で愛されてきた永留菓子店の「まんまるい形の鯛焼き」だ。


127

遺跡

Archaeological Site

現在もあちこちで古代の遺跡が見つかっているが、それは全体の中のほんの一部だと思う。なぜなら、すべての人の営みの跡は消えてしまうものだからだ。たまたま条件によって残っているものが現在発見されているのだろう。以前、写真にあるような遺跡の場所を偶然通ったことがあった。その場所は、静かな森の中で、近くには清流が流れ、現代人にも心地良い場所だと感じられる場所だった。この遺跡は飛鳥時代から鎌倉時代後半という時代で擦文時代と呼ばれ、約1,400年から800年前の時代のものと言われている。住居跡の窪地や、中央に掘られた炉の跡、南側の壁には煮炊きに使われたカマドがあったという。この場所に昔の人たちも同じように暮らしていたのかと思うと、なぜかホットして身近なものを感じた。電気もクルマもない時代は、今の自分にはなかなか想像できないが、それだけに古代の人々は自然の変化や動植物の知識、身を守るすべを、私たちよりずっと優れた感性をもっていたことだろうから。もしかすると今よりも、豊かさや幸福感に満ちた暮らしだったのかも知れないのだ。


126

水たまり

Puddle

こんな経験はないだろうか。雨上がりの道を歩いていて、ふと足下の水たまりに立ち止まり、中をのぞくと、そこに薄暗い空や木立や建物が映り込んで、その足下の空間に落ちそうな感覚になることが…。私は、何度か経験しているが、よく見ると当たり前だが、ただの雨上がりに出来た水たまりなのだ。立ち止まり写真を撮ったものがこれ。まさしくそこには空が映り電線や周りの風景が広がっている、なんとも足下の不思議な空間だ。水たまりの中へ飛び込むと、すーっと向こう側の空に落ちていきそうな気もしてくる。端から見ているとただの水たまりをのぞき込んでいる怪しい人にしか見えないが。よく、SFのストーリーに鏡の世界のことが描かれることがあるが、現実と対になっているもう一つの空間があるとしたらこんな風景なのかもと想像する。ぽっかりと空いた水たまりから、向こうの世界が見えているという異次元空間が水たまりなのだろうか。じっとのぞき込んでいると、向こう側の自分はどんなだろうかとさらに想像が膨らむ。どちらにしてもヘンな人にしか見えてないだろうけど。


125

ぶどう

Grapes

ぶどうで作った酒をいつ頃からワインと呼んだのか分からないが、ぶどうやつる植物やつる植物の茎を英語で「vine」と表す。何となく「wine」と似ているが、詳しいことは知らない。とにかくブドウは何千年も昔から、果実として、酒の原料としても作られてきた。糖分、酸、タンニンなどのバランスがワイン造りに最適だったらしい。つまりバランスが良く、いろいろなバリエーションが楽しめる酒と言うことがその理由なのだろう。今では1万種以上のぶどうが作られているそうだ。そいうえば日本人もワインを飲むチャンスが多くなったように思える。正月のおとそ代わりに、バレンタインや春の宴会なんかにはスパークリングワインがつきものだし、ボジョレーヌーボーなどの流行でワイン初体験なんて人も多いだろう。ハロウィーン、クリスマスなど輸入されたイベントも多くなった。その度にワインが登場して人気も出てくる。現在は温暖化で日本がワイン生産地に向いているという追い風も出てきた。


124

パッケージ

Package

パッケージに注目が集まることはそれほど多くはないだろう。例えば高級時計や香水などを買ったときなどは、大げさな箱やパッケージに商品が鎮座していたりするが、日常の商品などは、せいぜいきれいなプリント柄のケースなどに入っていることが多いもの。しかし、時代は変わり、過剰な包装やリサイクルできそうもない贅沢なパッケージは、逆のイメージで敬遠されたりしてしまう。中に入っている商品が高額だからといって、贅沢は許されない時代なのだ。環境を意識したパッケージでなくてはならなくなった。しかしだからといって、いかにも安っぽいパッケージではアンバランスと思われてしまう。難しい時代だ。写真はiPhoneの箱に入っていた付属のケーブル。重なっていたのを広げてみたところだが、実にきれいに収まっている。しかも素材は厚紙だけ。昔からアップル製品のパッケージには開けたときのわくわく感がデザインされている。その考えられたデザインが商品の価格を表しているというロジックがそこに込められているのだろう。


123

iPhone 13

iPhone 13

5年ほど前の話だ。iPhoneを買い換えた。その時使っていたのは iPhone7で、当時はカメラ機能が大きく進化して、旅行に出かけるのに電話とデジカメと二台を持ち歩かなくてもいいと思い、デジカメを持たずにiPhone7で写真を撮ってきた。初めの考え通りに、数え切れないくらい写真が撮れた。まるでデジカメ専用機のようにだ。電話機能はもともと電話を使わないのでメール専用みたいなもので、電話機としては十分な機能だった。ただ、スピーカーの音量が小さくなったのと、電源スイッチが摩耗してしまった。これはそれだけ酷使したのだからしかたがないと思う。その後買い替えたiPhone13は有機ELの液晶で、斜めからはやや青っぽく見えるが、カメラ機能は、すでにその時代のコンパクトデジカメを抜いていた。一番の変化はコンピューティショナルフォトグラフィーという考えだろう。今では画像修正や画像エフェクトなど当たり前になっているが、iPhoneで写真を撮ることは、今までのカメラの手法と攻め方が変わってきた。アップルはiPhoneという電話を再発明したが、実はカメラも再発明していた。


122

スマートキー

Smart Key

最近のクルマは、物理的なキーでエンジンを始動したり、ドアを開けたりしない。近距離の電波を使い始動させたり、解錠したりする仕組みだ。でも、便利なこれらの仕組みが盗難に使われることもしばしばと聞く。やはり目に見えない方法だけに不安は残る。先日、娘の車を運転する機会があった。スマートキーを使った新型だが、娘を送り、私はそのまま別の所へ運転していった。10分ほど運転しただろうか、用事を足そうと、ある場所で車を停めた。エンジンをかけたままなら良かったのだが、その時、エンジンを切ってしまった。ドアを開け、降りようとしたとき、気がついた。娘から鍵を受け取っていなかったのだ。当然、クルマを再度始動することは出来なくなってしまい、娘へ電話してキーをもらいに行くことに。勿論クルマは動かせないから、そのままにしてタクシーを呼んで娘を下ろした場所へ。娘も、普段自分のポケットにキーを入れてあるので何も気がつかなかったという。何とも恥ずかしい話だが、こんな事が起こるのもアナログではなくデジタルキーだからのことだと思い知らされた。


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夕焼け

Evening glow

かりに人が80年の寿命なら、その人生の中で何回夕焼けを見るだろうか。つまらない話かも知れないが、365日×80年で29,200日になるが、子どもの頃を除けば、28,000日くらいの可能性か。一応、気象庁などのページを調べてみたが、夕焼けになる条件はいくつかあったが、どのくらいの頻度で現れるかは分からなかった。もちろんあてにはならないが、かりに一週間のうち一日だけとしたら4,000日になる。さらにその時にちょうど夕焼けを見ているかといえば、そうでもないだろう。ちょうど夕焼けになっている空を見上げる確率はさらに少なく、三回に一回だとしたら、1,300日だ。写真の夕焼けは私が見た時のものだが、夕焼けが見えていた時間はたった10分間。ということは、夕焼になっていたとしても10分くらいの差で見られなかったかも知れない。とすればさらに見られる確率は低く、同じく三回に一回だとすると400日ちょっとということになる。もちろんこんな計算は当てにはならないが、夕焼けが一カ月に一回なら、なんと100日になってしまう。あと何度この夕焼けと出合えるだろうか。


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コキア

kochia

江戸時代から親しまれている植物だそうで、近年紅葉すると赤く染まるのが人気で、全国で植えられている。これもインスタ映えの影響だろう。今まで地元の人しか知られていない話題が、あっという間に全世界に広がるネットワークの影響だ。さらに人々は知られていない話題を探して廻る。まさに全員取材班のような今の現状だ。写真のコキアはまだ真っ赤に染まってはいないが、それはそれなりにきれいだ。別名ホウキグサと言われ、昔からこの草を使って箒が作られた。またこの実は食用にもなっている。秋田の「とんぶり」はこの実を加工したもので、畑のキャビアとも呼ばれて親しまれているそうだ。新芽も食用で利用度は高い植物といえるだろう。昔からあちこちで栽培されてきた植物なのに、なぜ今人気なのかよく分からない。カラー写真情報が簡単にどこからでも送り合えるようになったことが大きいのだろう。これからも人々のネタ探しはますます続いていくことだろう。


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ハロウィン

Halloween

もともとはキリスト教のお祭りではなく、ケルト人の祭りだと言われている。ケルトとは古代ローマ時代に「未知の人」を意味していて、広く民族を示す名前ではないそうだ。つまりヨーロッパの中程に住んでいた人たちのお祭り…という事なのだろか。ケルト人は10月の末が一年の終わりと考え、この冬が始まる季節に、死んだものの霊が訪ねてくると信じていた。つまりやってくる悪霊や魔女から身を守るためにそれらに扮装したり生け贄を捧げていたという行事だった。その後キリスト教でも異教徒の行事ながら取り入れる地域も現れて、現在の秋のイベントへと繋がったそう。ダック・アップルと呼ばれるリンゴ食い競争、干しぶどうを使ったゲーム、スナップ・ドラゴンなど、ハロウィンを楽しむゲームもたくさんある。日本では主に商業イベントとして流行してきた。都心部での仮装行列などは、どこか七夕祭り的な素朴さを漂よわせて若者を取り込んでいる。


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航空写真

Aerial Photographs

空から見た写真のことではない。いわゆるヒコーキ写真のことだ。以前、コロナ渦の中で行動制限があったので、自由に写真を撮りに行けない日々があった。身近な題材がないかと、カメラを持ち歩いていると、あるとき飛行機が飛んできた。ちょうど飛行場の近くだったので、多くの旅客機が発着していた。気軽な気持ちで写真を撮ってみると、これがなかなか奥が深い。上を向いて撮ることが多くなるため、ほとんど空を撮っているようなものだ。当然逆光撮影があたりまえになる。露出も面倒で、雲などは白飛びはザラという写真がたくさん出来上がる。しかも飛行機は飛んでいることが多いので、タイミングが合わないとほとんど絵にならない。この写真は車輪を下ろして着陸してくるところで、比較的時間の余裕があるカットだ。空と雲と地上の風景を入れてみた。今ならポケットにスマホがあるので撮るタイミングは多くなるだろうけど、それなりの望遠レンズはやはり必要となる。興味があるなら写真ページへ。https://dukes.pics/#1


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USBメモリー

USB memory

便利さの裏返しに危険が潜むことは、前にも書いてきたが、こんな小さなものにもそれは当てはまる。小指ほどの大きさのUSBメモリーには1テラを越える容量のものまで登場している。600万ページもの文書を記憶することが出来る。よくニュースで、USBメモリを落としてしまい、個人情報の漏洩などと報道されているが、一つの街全員くらいの個人データがこの中に入るのだ。標準画質の写真なら25万枚記録可能とも言われる。すぐには想像できないが、とにかく想像を超えた量の情報が入っている。写真のメモリは、普段キーチェーンに付けている私のものだが、16ギガバイトの容量。別に1テラでもいいのだが、大きな容量だとつい何でも入ってしまい、余計なデータも残ることになるのでわざと小さくしている。そしてこの便利な道具の危険な部分であるデータの漏洩対策だが、すぐ消すこと。持ち運ぶのは最短最低を基本として、運び終えたら中のデータはすぐ消去。これが基本だと思っている。


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飾る

Decorate

絵を飾る習慣は、まだ日本には馴染みがない…、とどこかで聞いた事があるが、そうだろうか。確かに絵画や版画などをオシャレに飾ってある日本の部屋は少ないかも知れないが、床の間に掛け軸や、縁起物の置物や花瓶や壺など、古くから日本でも飾られてきた。だから不思議なことではないと私は思う。私も飾るのは好きだ。しかし何でも良いかというと気に入ったものやその場にあったもの、または少し気になるものが多い。気になるものはその時によっても変わるだろうし、変わっていってもそれはそれで自然なことだ。写真のエッチングはジョアン・アイザックのコーヒーカップの小さな絵だ。版画は手軽に買える値段のものが多いので気軽に楽しめる。手軽と言えば花を飾ることは一番多いかもしれない。絵ではないけど、生ものは、また特別だ。変化も楽しめるし季節感もある。貧しくても花一輪飾る気持ちは無くしたくない…、晩年、父が残した言葉だ。


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ハードディスク

hard disk

知らない人には、何の話と思われるが、何となく聞いたことがある人も多いと思う。コンピュータの記憶媒体なのだが、歴史は古い。世界初のハードディスクドライブは1956年のIBM 305 RAMACのIMB 350ディスク装置と言われている。一般市場への普及は1980年代のウェスタンデジタルやマックストアなどからだ。写真は身近にあったハードディスクだが、下の大きい方が5インチドライブで上の小さなドライブは主にノートパソコンなどに内蔵されている3.5インチドライブ。どちらも現在使われているものだが、使用時間などで消耗品として交換されるのが普通だ。壊れてもしかたがないが、大切なのは中のデータだから、必ずコピーを作っておく必要がある。SSDなどのメモリーに記憶装置が全て置き換わると言われていたが、意外とまだまだ生き残っている。すでに50年以上広く世界中で使われている記憶媒体で、変化の激しいコンピュータの世界では珍しい例といえよう。紙に次ぐ媒体と言えるかもしれない。


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コンビニ

convenience store

日本における最初のコンビニエンスストアは1962年、岐阜県多治見駅に出来た鉄道弘済会による店舗だそうだ。コンビニエンスストア自体はアメリカが発祥とされ、1927年、セブンイレブンはテキサスの氷販売店から。ローソンは1939年にオハイオ州で牛乳販売業をしていた店が、牛乳のほかに日用品も扱うようになって誕生した。ローソンのマークが牛乳缶なのはそのためだ。広大なアメリカでは、こうした雑貨を扱うのは、とりあえずの買物の必要性があったからだろう。以前、マウイ島を旅したとき、ハナという小さな街に雑貨屋が一軒あった。食料品はもちろん、日用品から大工道具などあらゆるものが売られていた。この店の他に売っているところがないので大切な店だっただろう。興味深かったのは店の入り口には、伝言板や地域のニュースまでも貼ってあり、コミュニティセンターの役割も果たしていたことだ。ここでは地域情報も大切な商品なのだ。


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マユミ

Euonymus hamiltonianus

別名ヤマニシキギ(山錦木)とも呼ばれるニシキギ科ニシキギ属の植物だ。秋の果実と種子など紅葉が楽しめる庭木として人気がある。植物にはあまり縁のない私だが、古い実家を取り壊したとき、北側で日の当たらない場所に植えられ、雪の下で何度か幹が折れかかったこの木を少し株分けして残した。北国の寂しい秋の季節に、淡いピンク色の硬い果皮を付け、それが4つに割れて、赤い実を下げる。その姿が何となく気になり、今は鉢植えにして家の入り口に置いている。今年は思ったよりも多くの果皮を付け、ちいさなピンク色の彩りを見せてくれている。名前からもわかるように、材質が強く良くしなるため弓の材料として昔は使われた。現在は印鑑や櫛の材料としても使われるらしい。初雪の頃にもまだ実を付けているので野鳥なども食べに来る。私にとっては、晩秋の彩りとしての木である。


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続・GoPro

GoPro, Part 2

061でも書いたが、サーフィンの撮影が出来るようにと2004年に発明されたアクションカメラは、手ぶれ防止、防水、耐震など撮影機能をアップ、ウェラブルカメラの代表になった。1080pの高解像度になったことで放送レベルの画質になり、今ではその映像をテレビで見ない日はないくらいだ。私が使うようになったのは、ある知り合いのカメラマンが面白いおもちゃがあると見せてくれたのがきっかけだったが、その後画質も良くなり、ゆがみも自然な画角になってきてよく使うカメラのひとつになった。主にタイムラプスで使っているが、時間を早送りで見せてくれる効果は大きい。体に付けられる気軽さはウェラブルカメラの強みだ。映像の時代と言われて久しいが、兵士のヘルメットに装着されたり警察官や、作業員も付ける時代になって、生々しい映像記録も残される。アクションカメラにも競合機種が増えてきて、人気がやや下火になったとはいえ、このカメラが果たす疑似体験映像の役割は、これからの方が大きくなると思う。


111

栓抜き

bottle opener

キャップ式ボトルが多くなったが、やはりこれがないと多くのビンの王冠は開けられない。素手で挑戦してみるとよく分かる。力を入れすぎると血が出る。昔、キャンプしていたとき、どうしても栓抜きが見つからず、ビンを割って飲んだことがあったが、危険なことだった。ペットボトルが出てくる前は色んな所に栓抜きが付いていた。列車の窓の下の小さなテーブル、映画館の前のイスの背もたれ、自動販売機にも親切に付いていた。調理ばさみなど、見渡せばあちこちにあったものだ。写真のものは結構古いもので、軽い材質で出来ていて、ポケットにも入る。針金のものは栓抜きではないが、鰯の缶などの金属製の蓋を巻き取って開ける専用ふた開け道具。これも缶自体にくっついていたものだ。今でもお土産品などで、いろんな栓抜きが売られていたりするが、きっとコレクターも多いのだろう。


110

駐車場

parking space

馬が移動手段だった頃は、馬留と呼ばれて馬の手綱を結んで馬を休ませていた場所があった。駐車場は現代版の馬留めだろう。映画などで登場する駐車場は、必ず何か事件がつきものだ。特に室内駐車場は何となく不思議な空間でもある。何があるわけでもなく、何となく湿った空気と暗い光がドラマ作りにはぴったりなのかも知れない。駐車場で思い出すのは、バレーパーキングだ。バレットパーキング(Valet Parking)とも言い、その施設の従業員に車のキーを渡して決まった場所に車を停める方法だ。だから、駐車場を探すこともないし、場所を憶えることも必要ない。海外で初めて経験したとき、何となくキーを渡すのが不安だったことを憶えている。後になってチップを渡すことも学んだが。最近では、巨大施設の広大な駐車場などで、停めた場所が分からなくなることを想定して、スマホで自分が停めた場所を表示するシステムも出てきている。もちろん、スマホにはチップは必要ない。


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スクランブル

scramble

言わずと知れた「緊急発進」のことだ。国籍不明の領空侵犯機を牽制するため自国の戦闘機がスクランブル発進することは数多くある。特に近年は、隣国情勢など緊張状態が続いていて、日常、発進することがが多いのだろう。この日も、突然の爆音と共に飛び立っていった。写真のF15J戦闘機がその瞬間だ。カメラのピントを合わす間もなく空の青色の中に消えていった。通称イーグルと呼ばれるこの機体は長さ19.4メートル、幅13.1メートルで重さ25トン、最高速度がマッハ2.5という飛行性能を誇る。そして高度19,000メートルまで上昇できるという。パイロットはイーグルドライバーと言われパイロットの花形だ。巡航距離は4,600キロで日本全土をカバーする。でも、それだけの空の守りをもってしても、国境付近では常に緊張状態が続いている。


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手帳

Personal Digital Assistant

ノートブック、あるいはポケットブックなど呼び名は色々あるけれど、要するにスケジュールや覚書を書いておくノートのことだ。とりあえずここでは手帳としておこう。私は仕事をし始めてから手帳をつけるようになった。なったというか、それがなければ仕事にならなかったからだ。それまでは必要なかった。スケジュールに従って物事を進めていかなければ仕事にならない、そうして始めた手帳でありスケジュール帳だった。当然、日記とは違い、感想や個人的な事柄は書かない。30数年、紙の手帳を使ってきたが、2001年に当時PDAとして電子手帳が発売されたので、そこからデジタル手帳に変わって行った。今、PDAといっても何のことか分かる人は少ない。パーソナルデジタルアシスタントの頭文字だ。アップルのジョン・スカリーの造語だそうだ。手のひらに納まり、予定表や住所録がデータとして持ち運べる。1990年代にはもちろんスマホはない。紙からデジタルへ完全に変えるには、実は勇気がいった。つい鉛筆でメモをとろうとする時、将来アナログではデジタルの恩恵は得られない、と自分を抑えたことを思い出す。


107

ラジオ

radio

見たり読んだりするメディアが増えている中で、ただ聞くだけというラジオは特別なメディアになっている。とくにウォークマンが普及し出した時代からさらに加速してきた気がする。ラジオというと学生の頃放送局でアルバイトしたことを思い出す。お気に入りの曲をラジオ放送でかけてもらうため、はがきでリクエストするという番組が多かった。山ほど届くはがきの山から何枚か選んで、紹介し曲をかける。曲と言ってもその当時はレコードだ。先に何曲か選んで、レコード室へ走って行き、目的のレコード盤を探してくる。パーソナリティーと呼ばれるいわゆるディスクジョッキーが曲を紹介しながらはがきを読む。たまたま読んでもらった人はきっと良い思い出だったのではないだろうか。人気の曲には、たくさんはがきが来ているので、その中で読まれるために、はがきに絵を描いたり、色をつけたりで、応募する人も色々工夫をしたものだった。現在、ラジオはネットでも聞ける時代になったが、音だけを聞く装置は生き残るのだろうか。古いラジオを眺めながら考えてしまう。


106

時計

watch

書く話題に困ると、自分の部屋の中を改めて見回し、何かないかと探してみる。すると、見慣れた中に色んなものが隠されていて、まるで自分の部屋を探検している気分になるものだ。ヘンな話だが、自分で集めたものの中でさまよっている感覚だ。数年前からAppleWatchを使っているので、いわゆる普通の時計を使うことが少なくなった。もちろんApple Watchも時計機能はあるのだが、普通の時計とは機械式のアナログ時計のことだ。写真のようにいくつか時計は持っているが、AppleWatchになってからは、これらの普通の時計はしばらく出番がなくなっている。そう思い、昨日はしばらくぶりにアナログ時計を付けて出かけてみた。ずっしりとした金属の質感や重さが何となく心地良い。しっかり動く秒針も新鮮な感じがする。時を知るだけの単一な機能しかないが、たったそれだけのための機械が不思議な存在感を与えてくれた。AppleWatchの多機能製も良いが、普通の時計もなるべく使っていこうと思わされた。


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台所用品

Kitchenware

日本の台所道具は世界でも優れた品質で有名だ。刃物、鍋などの銅製品や鉄器。繊細な調理道具や器など数限りない優れてシンプルな道具が揃っている。一方海外ではどうだろうか。もちろん素材や料理方法などの違いで道具なども個性豊かな品々がやはり多いが、それらに何となく感じるのは、色彩やユニークな形ではないだろうか。料理の専門家でもない自分がこんなことを言うのはおこがましいが、違った角度から見ると別の個性が見えてくる。例えば写真のクリップは食材の袋や容器の口を止めておく海外製のものだが、柔らかな手触りの形とカラフルな色は独特だ。見ているだけで、実に自由な雰囲気が感じられる。食事を楽しく、またワイワイと食べながらのおしゃべりまで、こんな小さな道具にも込められているような気がしてくるものだ。


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ルートビア

root beer

知っている人の中でも、好みがはっきりと分かれる飲み物がルートビアだ。ビアと名前にあるが、ノンアルコールだ。ルートとは植物の根の意味を持つそうで、1866年アメリカで発売されたとウィキペディアにはある。最初はアルコールも少し含まれていたそうだが、やがて薬剤師などの知識が入り、少しずつ薬効も加わり独特の味わいになっていった。A&Wの缶を店頭で見かけたこともあると思う。私もA&Wが最初の出合いだった。沖縄の空港でジョッキで飲んだ記憶がある。その後アメリカ本土に行ったとき、結構な種類が店頭に並んでいて、驚いたことがある。何本か飲んでみたが、少しずつ微妙に味が違う。調べてみると自家製もあり、種類も多くあることが分かった。ルートビアには何となく土着性な香りがするのが魅力だ。地域性やその飲まれてきた時間が何となく感じられるものでもある。写真の一瓶はハワイで見かけたけっこうポピュラーな銘柄だ。ほんのりサロンパスの香りがする。ミズメという樹木も同じ香りだと聞いたことがある。


103

スーツケース

Suitcase

旅行カバン選びは結構難しいものだ。何度か海外旅行を経験すると、どんな旅行鞄が必要か、自ずと知ることになるが。予想できる必要項目の答えは大体合っているが、実はその答えと実際の答えは少しずれている。例えば、軽い鞄がラクで良いと思ったら、荷物を詰めたときに意外に安定感がなくふらついたり、小さくてかまわない、と考えていると、旅行の帰りでは荷物が増えることの方が多かったりと何度かの旅の経験が自分に合ったカバンの答えを出してくれる。また、カバンについてのエピソードは数え切れないくらいあるものだ。例えば行方不明になったカバンの話とか、鍵をなくしてしまった話とか…。旅行の話と同じくらいカバンの失敗談も多いものだ。写真のスーツケースは私が使っているものだが、見て分かるようにボコボコにへこんでいる。空港などで積み込みの時、投げられたりすることはあたりまえだからだ。最初から覚悟して使ってきた。そんなものだと思う。時々叩き治して使っている。中に詰めた旅の道具を守ってくれる頼れる相棒でもあるのだ。


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月

moon

月というテーマは平凡でいて重すぎるのかも知れない。なぜならその存在は時代と共に重要さを増してきているような気がするからだ。もうすぐ十五夜。メンタルな気分で眺める月もあるが、月表面を走行できるタイヤの開発も進んでいるという話を聞くと、何となく現実味もある。眺める存在から移住したりする存在へ変わっていくのだろうか。そんなことを考えながら眺めてみた。写真は以前に撮ったものだが、手持ちなので少しぶれている。今まで何度、月を撮っただろうか。行けるものなら行ってみたい気もするが、おそらくムリだろう。見えるけど行けない場所の代表か。開き直って行けないからこそいろんな空想を抱かせてくれる、などと言ってみる。月の引力が地球の出来事に影響を与えている、と昔から言われ、一番の答えが、海の満ち引きだろう。実感できるものとして、説得力がある。その引力はわずかではあるけれど、私たち人体にも影響しているのだろう。楕円軌道をしながら地球の周りを回っている月が、どこかで自分たちにも見えないチカラを与え続けていると考えると、何かの言い訳にも使えるのかもしれない。


101

帽子

Hat

最近、ふと考えたが、年配者は帽子をかぶるようになったのか。最近感じることなのだが。髪の毛が薄くなってくると、頭の上が何となく不安になってくるものだ。自分もすでに髪の毛が若いときに比べ半分以下になっている。これは自然の流れだ。ふさふさとした羨ましい髪の年配者はいるが、多くの人は歳と共に髪の毛は薄くなるものだ。しかたがないが、そうなると保護の意味もあって途端に帽子をかぶり始める。へーヤースタイルのオシャレもしづらいのでなおさらだ。女性は日焼けなどを気にしてか、つばの大きめの帽子が多く、男性は簡単な前につばがあるいわゆる野球帽をかぶることが多い。ところで、なぜ野球帽なのだろう。いつも不思議なのだが帽子にも色々あるのになぜか野球帽。手に入りやすく手軽だからなのか。野球もしないのに野球帽はやはりヘンだ。野球ファンなら別だが…。昔の写真を見ると男性の年配者は立派な帽子をかぶり、着物を着て歩いている。洋服になったことが日本人の帽子の嗜好が変わってしまった理由だろうか。


100

ゲロルシュタイナー

Gerolsteiner

いつの頃からか、水を買う時代になった。水道も元々有料ではあるが、外出時などに飲み水として水を買うことがあたりまえになっている。でも、昔はそうではなかった。特に飲み水に恵まれていた日本では、いろんな施設には無料の水飲み場があり、大抵の場合水が飲めた。また、どこでもお願いすれば水を無料で飲ませてもらえたものだ。だが、健康志向なのか、単に売っていなかったからなのかは分からないが、現在は、飲み水は買って飲むものになっている。持ち歩く時も、以前は水を水筒に入れ持ち歩きながら飲んだものだ。変わったものだとつくづく思う。私はずいぶん前から、写真の水を飲んでいる。始めは数本コンビニで買っては飲んでいたが、今では箱単位で買っている。この水を飲む理由は単純だ。水道水にはないミネラルが多いからだ。最初は硬水の味がキツく、飲んだ後の食事の味が違って感じたくらいだったが、今では逆に食べ物を炭酸水に合わせるほどだ。日本の水は軟水が多く和食にはぴったりくるが、最近は洋食化が進み、炭酸系の硬水も増えているという。この水が良いところは、ウィスキーをこのまま割ればハイボールになることだ。


099

キャンドル

Candle

キャンドル、ろうそく、呼び名は色々だが、不思議なチカラがあると思う。もちろん明かりを利用するという機能的なものは基本だが、その明かりが小さくとも暗くとも、心に与えてくれるものは大きい。最近のキャンプブームでランプやランタンが人気だそうだ。七色のLEDがあたりまえの現代に何でランプやたき火なのだろうか。よく言われるのは人間本来の野性的な本能が火を見ると呼び起こされると。そうだろうか。遺伝子の中に原始のスイッチが隠されているかどうかはよく分からないが、明かりを見つめていると確かに何かのチカラがありそうだと思えてくる。写真のキャンドルは、食事の時にテーブルで使うためのもの。クリスタルガラス製で、光源はLEDだ。ガラスの模様が炎の揺らめきを表して、色んな表情を見せてくれる。水面に揺れる光のようにテーブルに淡い光を添えるという仕掛けだ。ガラスという昔からのものとLEDという電子が生み出す光がコラボしたキャンドルと言える。


098

空路

Air Route

民間航空機の飛行ルートは決まっている、という話は以前から聞いていたが、その空路の真下にいるとは思わなかった。晴れた日、北の空から二本の飛行機雲が上空へと伸びてきた。あっという間にちょうど真上まで伸びてきて、撮ったのがこの写真だ。重なって見えるが高度がそれぞれ違っている。右を飛んでいるのはアトラスエアーの5Y515便アンカレッジ発ソウル行きボーイング747で愛称ジャンボだ。すでに国内では飛んでいない機体。左を飛んでいるのはアメリカンエアーラインのAA127便ダラス発同じくソウル行き。こちらはボーイング787愛称ドリームライナーだ。なぜそんなに正確なことまで分かるのかと思うかも知れないが、今はスマートフォンで、どこの場所にどんな飛行機が飛んでいるのかさえ分かるアプリがある。ボーイング747はこのとき高度4万フィートで隣のボーイング787は3万8千フィート。意外とわずかな高さの差だ。スピードも違っていた。この後左の787が747を追い抜いていった。毎日、こんな光景がどこかの空の上で繰り返している。


097

ユースホステル

Youth Hostel

今まで泊まったことがないユースホステルの話だがこのテーマで書けるのだろうか。残念ながら経験がない。だから想像で書かせてもらう。以前、千歳市の広報にこんな記事が出ていた。日本で最初のユースホテル直営第1号の建物が解体されるという内容だった。支笏湖の小学校の跡地を利用した建物で、その後、建築家が協力してリニューアル。それから66年経った2021年の秋、解体が決まった。建物がなくなる前、実際の建物をそれから後日訪ねてみた。写真がその時のもので、豊かな国立公園の緑の中にひっそりとその歴史的な建物はあった。あと数カ月でこの建物の姿は見られなくなる。私は宿泊したことも思い出もないが、若かりし頃、この施設に宿泊し、支笏湖の懐かしい思い出を持っている人たちにとっては、感じることも多くあるかも知れない。そんなことを考えて眺めていた。現在の全国のユースホステルの施設は時代の流れと共に変化して多くは閉館や他の施設に変わっているという。


096

パスポート

Passport

若い頃はパスポートというものを持っていなかった。持っていなかったというより、必要なかった。多くの人も同じだろう。そんな時、仕事で海外へ、ということで初めて発行してもらった。もらったと強調したのは、正しく日本政府が発行してくれるものだからだ。このとき初めて日本人になった気がしたものだ。それは1992年頃のことだ。今のパスポートは確か2冊目だと思う。ICチップが埋め込まれて新しい形になった。海外旅行に行っていた頃はページが入国証のハンコでびっしりになったこともあったが、ここ数年は白いページのまま。最近、政府はパスポート取得費用を安くして、少しでも保有率を増やそうとしてはいるが、日本の総人口に占めるパスポート保有率は、2025年末時点で、約17.8%で約6人に1人。前年から少し増えてはいるが、他の国と比較しても低い。必要がないと言えば必要がないが、これから先、フィジカルAIロボットが、より精密になり、まるで人間と区別がつかずになってくると、私はアナログな人間です、という証明するために、携帯することが必要になりかもしれない。冗談ではなく、そんな時代がそこまで来ている気がする。


095

エレキギター

Electric Guitar

1960年代後半だったと思う。エレキギターブームという流れがあった。当時10代の人は今でも記憶にあると思う。とにかく新しいものは何であれ、正しいものか、または、いわくつきのものかすぐに区別がつけられる。エレキギターは後者だった。今ではおかしな話だが、その時はそんな風に捉えられていたように記憶する。たかが楽器だったが、アンプで増幅され、エフェクトまでかけられたそのサウンドは、今までにない音を出して驚かせた。若者は飛びついた。でも周囲の目は、まるで若者が武器でも手に入れたような視線で煙たがって目を背ける。今までにないサウンドは、そうやって迎入れられた。さらにエレキギターでバンドを組むなどすると、冷たい視線はさらにエスカレートして、エレキバンド禁止や果ては不良扱いにされ、苦しんだ若者も多かった。今では考えられないかもしれないが、これは当時を知る、その時若者でエレキギターを抱えた経験を持つ人なら理解できることだろう。私もその一人だったが。


094

ランディング

landing

ランディングとは飛行機などが着陸することだ。よく空港で見送りなどで、屋上からテイクオフを見ることはあるが、意外と飛行機が降りてくることを見るのはついでの時が多い。しっかりと着陸する様子を見るのは希だろう。なぜ少ないかと考えるとすぐ分かる。空の上から着陸態勢に入ってくる機体を見つけるのが難しいからだ。レーダーを見ている管制官でも双眼鏡で探すくらいだから、豆粒より小さい飛行機を広い空の中に探すのは不可能に近い。何度か自分でも試したが偶然、着陸コースに飛んでくる機体を発見するくらいで、旋回している機体はなかなか見つからないものだ。ヒントは着陸灯を見つけることだ。写真は、夕暮れ時、ランディングに入った機体を私が撮った一枚だが、高度は980フィートしかない。約300メートルの高さから車輪を出して滑走路を目指す緊張の時間。機体には高度が低いので夕日は当たっていないが、バックの積乱雲はまだ日を浴びて白く輝いている。高さの差を感じるランディングの風景だ。飛行機写真は偶然を味方につけることが多い。


093

刀剣

Swords

写真のようなポケットナイフには大げさなタイトルだが、頼りになるモノとしては同じだろう。日本刀の刀剣は「依代」とも呼ばれ、古くから宝物としても大切にされてきた。武器ではあるが、日本人はモノ以上のものを刀剣に注ぎ込んで、その美意識と機能性と文化をはぐくんできた。また、別の視点からこれらのモノをみると、身を守るモノ、生きるために必要な最低限の道具とも言えよう。写真のポケットナイフは、究極のポケットナイフと呼ばれるひとつで重さ32g、折り畳むと57mmというポケットの中でも探さなければうっかり見つからないほどの小ささだ。最高品質のグレード5チタン製、刃にはAUS8ステンレスを使い耐食性にも優れている。とかくポケットナイフはアクセサリー的なモノが多い中、本格派だ。デザイナーはデトロイト出身のビリー・チェスターという若者だ。彼の志は高く、クラウドファンディングの力を借り、日常生活でも十分耐えられる理想のポケットナイフを作り上げた。


092

ブラックベリー

BlackBerry

今から16年前、ドコモから「BlackBerryBold 9700」という3G回線の携帯電話が発売された。覚えている人は少ないかも知れない。写真は、私の手元に保管している本体だが、カナダの携帯電話メーカーリサーチ・イン・モーション(RIM)が開発した機種。アメリカを始めヨーロッパでも広く使われていた。歴史あるQWERTYキーボード搭載のこの携帯の風貌は一目で別物の携帯機種と分かる。欧米ではビジネスマンが多く使っていた機種だが、日本ではあまり普及しなかった。スマートフォンの登場や、基本的に言語やキーボード文化の違いもあったのだろう。小さなキーは、日本人の指の大きさに合っているのではと思うが、他の条件などで、あまり人気が出なかった。私は、無表情な最新スマートフォンよりは、なんとなく個性的な風貌のこの機種に親しみを覚える。スイッチがたくさん並ぶレトロな機器によくみられる雰囲気がそう感じるのかもしれない。ドコモは2026年3月31日をもって、3G回線サービス通信サービスを終了した。こうした物理的なキーボードを持つ携帯端末はこれからは出てこないかもしれない。


091

Webカメラ

WebCam

リアルタイムカメラ、ライブカメラと呼ばれる、今では誰も特別に思わないカメラだが、インターネットの歴史とは切っても切れない機器の一つだ。ネットワークカメラと呼ばれ、スチールカメラとは別扱いになるのもその理由だ。これは、有名な話だが、いまではほとんどの人が知らないだろう。1991年ケンブリッジ大学の工学部のトロージャンの部屋にコーヒーポットが置かれていた。そのポッドの映像を撮していたのが世界初と言われるライブカメラだ。何をしていたかと言うとポットに入っているコーヒーが飲まれる度に少しずつ減っていく様子や、たまに補充される映像。その様子を常時配信し続けていたのだ。今で言うコーヒーポッド見守りカメラだ。そんなことに意味があるのかは問題ではない。世界で初めてリアルタイム配信の実験でもあった。このカメラは2001年8月まで設置されていたという。約10年間のライブ配信の話だが、今から25年前のことと考えれば、現在はそれからたいして進歩していないのかも知れない。写真は私が所有している初期のWebカメラの一部。


090

ルーペ

Lupe

多くの人は多分それほど使わない虫めがねの話だ。専門職や観察研究する場所では使われているだろうけど、普段の出番は少ないはず。だから、どこかにしまってあるけど、いざというときにはなかなか見つからないものの一つだろう。写真の右上のルーペーは撮った写真を確認したり、おもに物のチェック等に使われる一般的な物だ。手前の薄いルーペは携帯用で赤いケースに入れて持ち歩くもの。旅行先などで必要になったときに使う。虫めがねで見ると大きく拡大して物を見ることが出来るのは、誰でも知っているが、実際、拡大して見たものの姿は意外と新鮮だったりする。まさに虫の目線だ。こんな形や色が入っているんだ、からはじまりココはこうなっていたんだとか、意外に雑な作りだったりと、発見することも多くある。だからといって虫眼鏡だけで行動するわけにはいかないが。近視眼的と悪口を言われそうだが、小さな物の世界にも別な世界が間違いなくある。


089

尿検査

urinalysis

先日、下腹部にしこりが出来て、泌尿器科を受診した。病院では早速「尿検査」が待っていた。少しの尿で体の中のことがいろいろ分かるらしい。すごい情報量があるそうだ。食べ物や体の中で作られるもの、あるいはいらなくなった老廃物など、まさに今日の体の状態がリアルタイム的に測れるのだろう。数字ばかりが診断の目安ではないだろうけど、医者はパソコンの画面に表示される様々な尿からの数字をチェックしている。最近の情報では、便器に測定センサーが付けられ、リアルタイムで健康状態が分かるという研究が進んでいるそうだが、そうなるとトイレに入るのが怖いやら不安になるやらで、出るものもの出なくなりそうだ。血液と同じに体の重要情報には変わりがないのだが。この先、トイレにもまた第二、第三の大きな革命が起こるのかも知れない。


088

ステープラー

Stapler

文具のブームが起こってからしばらく時が経つが、身近なものへの関心は依然続いているようにみえる。特にデジタル機器が増える中、その片隅でひっそりと生き残っているアナログ文具は、逆にそのアナログ的な存在感が増しているのかも知れない。残されたアナログ文具の一つ一つに、今度はこだわりの芽が移ったのだろうか。万年筆も人気と聞く。ザックリとした紙にインクの臭いがして、デジタル文具にはない魅了があるのだろう。写真はステープラーだ。ホチキスというブランド名でも呼ばれる古くから使われてきたシンプルなアナログ事務機器。電子メールの世界には登場しないものの一つだが、いざ紙の出番と言うときには欠かせない文具だろう。こだわりはステープラーにも色々あるだろうけど、意外な特徴としてはこの写真のステープラーはフラットクリンチ型と呼ばれるもので、綴じたときの針の形が平らになる。よくあるステープラーは針が山形になり、たくさん重ねると閉じた部分だけが膨れ上がる。針が平らだと綴じた紙を積み上げたとき厚くならないメリットがある。些細なことだが大切な小技と言えよう。アナログ文具にはこうした一見分からないが気の利いた機能が隠されているものだ。


087

数字

Numbers

私たちは一日の内で何度「数字」を目にするのだろうか。もちろん数えた人はいないと思うが、かなりの回数があることだけは分かる。たとえばこのコラムにも数字は書いてある。お金も数字の代表だが、意外と表示されている数ではなく、形や色などで使うことが多いだろう。数字は概念であることは分かっている。自分にとって意味がある数字と意味がない数字もある。単なる目印の数字もあるだろう。写真の数字は部屋番号だ。だから足したり引いたりする数ではないが、目印としては大切だ。まったく同じ数字があることも自分たちは知っている。しかし、同じ数字でも意味は全然違う場合も多い。多いというか同じ数字に出合うことはそれほど多くないのかも知れない。前を走る車のナンバーが自分の知っている意味のある数字と同じだったら、何となく不思議な感覚になることも。偶然だと知っていても何となくそこに別な「意味」を想像してしまう。その数字には関係ないのに…。


086

柵を食う白樺

A birch tree eating the fence

タイトルは怪談めいてはいるが、事実だ。たまに通る道沿いにある金属製のフェンスをしっかりと抱え込み、まるで樹木の中心に飲み込んでしまった姿の白樺の木がある。写真がその姿だ。もちろん、急にこの姿になったわけではなく、長い木の成長とともに飲み込んでいったのだろうけど、何とも不思議な光景だ。その姿は、色んなストーリーを想像させる。例えばこの柵が大好きで、柵を支える一部になりたかったのだとか、逆に自分の伸びようとしていた場所に人が設置した柵が面白くなくて、迂回して成長することをやめ、まさに食ってやろうとその柵を飲み込む姿で成長した…なんていくつかの物語でも出来そうだ。ただ、何となく悲しい雰囲気も少しあるのも事実だ。この先、柵が取り壊されるときこの木はいったどうなるのかなど、想像は尽きないが、ともかく個性的な成長を遂げている白樺であることは間違いない。


085

ハワイ産焼酎

Hawaiian Shochu

味には、生まれたその土地や風土や自然の味がすると、昔聞いたことがある。であれば、このハワイで作られた焼酎はハワイの自然の味がするはずである。果たして…。まだ飲んではいない。しかしそもそもハワイの風土や自然に触れていなければ、比べるすべもないだろうけど。採れた鮭を海からの冷たい風で干した寒風干し鮭は、きっと潮風や海の香りを運んでくれるのかも知れない。たとえ、そうではなくとも、食べるときには情景が浮かんだ方がきっとウマく感じることができるというものだ。写真の浪花のオーナーは九州で修行し、ハワイに渡って現地の芋で苦労して作ったという。ノースショアにあるこの酒蔵はその名の通りビッグウェーブで有名なサーフスポットだ。波頭が飛び散り、まるで花が咲いたようにも見える11月のオアフ島。何度か行った場所だが、あの豪快な波の姿がこの焼酎にはきっと似合うのだろう。何度も言うがまだ飲んではいないけど…。


084

アンプ

amplifier

世の中にアンプと呼べるものがどれくらいあるだろうか。アンプリファイアー、つまり増幅器だ。電源回路だったり音声回路だったりとにかく信号をさらに増幅させる装置の総称だが、観念的な使い方として、大げさに誇張した情報や、ほら話も含まれるかもしれないが、一般的には信号回路上のことだろう。レコード針の振動からひろった小さな音源の信号を、大きなスピーカーの振動板を動かすとき、やはりアンプがなくてはならない。拡声器もそうだ。選挙などが近づくと久しぶりに拡声器からの声を聞く。実はイヤホンや身近な電話機などにもたくさん使われている。写真のアンプはヘッドホン用のアンプで何台ものヘッドホンを使うときに使われる。本当は1台でいいのだが、何となく機械の佇まいが落ち着くので置いてある。何も増幅はしない代わりに落ち着いた空間のイメージを増幅しているのかも知れない。少し変わった使い方だが…。


083

カーナビ

Car Navigation System

以前、クルマを運転するということは、道を憶えなくてはならないことと同じだった。どちらかと言うと道路を憶えることの方が難しかった。運転は、一度覚えたら応用で済むが、道はそういうわけにはいかない。同じ道だけで済まないのだ。たとえ同じ目的地でも走るルートは様々。混み合っているときなど、違うルートをいくつか知っているドライバーの方が目的地に確実に着ける。よくタクシーのドライバーはスゴイと思ったものだ。しかし今は全く状況が変わってしまった。音声入力で行き先や寄りたいポイントを入力すれば、勝手にルートを案内してくれる。渋滞も時間差でちゃんと教えてくれたりもする。次に来る大きな変化は、間違いなく自動運転車だろう。でも、自分で走る楽しみだけは、なくなってほしくないが。最近は道路情報が常に更新されるiPhoneなどでナビゲートするクルマも多い。写真のカーナビは、旅行用として数年前から使っている。内蔵のマイクロSDカードには北米大陸のデータが入っているのでアメリカでのレンタカー旅には欠かせない。現地のクルマにも最近は装備されているが、これは日本語が使えて便利だ。こいつとの旅の思い出は多くの写真に今も残る。


082

iPod mini

Pod mini

20代の人は、iPodの名前を知っているだろうか。テープに変わる音源としてハードディスクが採用され、数千曲をポケットの中に持ち運べるという、音楽の聴き方を根本から変えた発明だった。生の音楽からレコードへと変わったように、同じくらいの衝撃があったが、時代が流れ、今はオンラインが音源の位置づけに変わっている。しかし音源そのものを持ち運ぶとなると、オンラインはやはり難しくなってくると思う。分かりやすく言うと単体での自己再生能力があるのかということだ。そもそも楽器自体は音を出すものとして存在しているが、音楽となると、音が出ればいいだけではなくそれが音楽として成立することが必要になる。人の体も楽器なら声の出し方が、音楽を作るように。なんだか小難しい話になったが、要は音楽をもっと簡単に聞ける環境という話だ。24年前、無人惑星探査機ボイジャーが地球の音源として金色のレコード盤に様々の言語や曲を記録して、未知の生命体へのメッセージとして打ち上げた。今その音源は太陽系を離れ、何十億年の旅をしている。


081

クリップ

clip

バッグ・クロージャーというクリップをご存知だろうか。名前は知らないが、見ると誰もが一度は見たものだ。パンの袋を閉じている小さなプラスチックの留め具のこと。アメリカで特許をとっている。でも一番有名なクリップと言えば、ゼムクリップだろう。一本の針金をクルッと曲げただけの構造で1890年頃の発明だそうだが、意外に特許はないそうだ。その後色々なものが開発されたが、結局はゼムクリップが一番シンプルで使いやすいということだろう。ただそうは言っても他にも色々なクリップも考えられている。写真のものは、私が使っているもので、丸い渦巻き型だ。やはりこれもゼムクリップには負けるが、何となくおしゃれなクリップの一つだろう。クリップの歴史はけっこう古そうだ。最近は、クリップやステプラーなどの金属を使わず、直接紙と紙を閉じる方法もエコばやりで登場している。どのクリップもあくまでも脇役としてあるが、チョットした箸休め的に添えるのも楽しいものだ。映画のサバイバルシーンなどでは、最後に鍵穴を開ける小さくて重要な脇役としても登場するが…。


080

封印

Seal

今やアナログとさえも呼ばれない手紙の話だ。メールなどとカタカナで呼ばないでもらいたい。紙の手紙は個人の間ではかなり減ってきているのだろう。SNSや携帯メールで、特別な用途でもなければ使われなくなっている。それ故、特別な時を演出するのには良いかもしれない。封書などには必ず封印がされる。よく「緘(かん)」という文字で封書が封印されているのを見たことがあるが、文字どおりしっかり私が閉じましたよ、誰にも開けられていませんという証に押されている印だ。〆とかと書くのでもかまわないのだが、アナログだけにそこはこだわりたいものだ。私は「雙魚」という封緘印を使っている。中国の古い詩からの言葉だ。ある種の遊び的クイズの意味を込めて印を押している。何だろう…と受け取った人が気がついてくれたらうれしいが。他にもきれいな文字や絵柄もあって、つい手紙を送ってみたくなる魅力がある。


079

ベルト

belt

よく考えてみると、おかしな題目だ。いったいベルトで何が書けるのか、私にも分からないが、とりあえずベルトで書いてみることにする。男のベルトはそれほど種類は多くはないだろう。だろうというのはあくまでも基本としての機能、つまりズボンなどをしっかり固定して動きやすさと機能性を追求し、かつファッション製のあるベルトが基本だと思う。私の使っているベルトは10本くらいだろうか。一般の男のベルトとしては多いのかも知れない。実はベルトの種類は数多くある。ドレスベルト、スタッズベルト、二つ穴ベルト(ダブルピンベルト、ギャリソンベルト)、ウェスタンベルト、メッシュベルト、カービングベルト、ゴムベルト、リングベルト(サーシング・ベルト)、リボンベルト、サッシュベルト、タイベルト、チェーンベルト、ハイウェストベルト、サム・ブラウン・ベルト。いかがだろうか、別に字数を稼ぐためではない。すべて説明できるだろうか。これ以外にも軍用や工事現場など専門的に使われるベルトはさらに多彩だ。参った。


078

三脚

a Tripod

写真を撮ろうとする人が必ず通る道に、三脚問題がある。三角関係ではない。コンパクトカメラやスマートフォンで写真を撮るときも、どこかに寄りかかったり、手を柱などに支えて撮った経験はあるだろう。つまり手ブレを解決する方法だ。固定できたらもっとキレイに撮れたと失敗を悔やんだ人も多いはずだ。そんなときの味方が三脚。しかし三脚は重いし、持ち歩くのもけっこう邪魔になるもの。よく、軽さをうたった製品やコンパクトさを強調したモデルもあることはあるが、やはりそれなりの安定感と大きさは必要となる。「撮れば撮るほどそう思うようになる」と、長年撮ってきた先輩たちのアドバイスがある。やはり覚悟しなければならない。写真を撮ることは実はラクではないのだ。体力と面倒くささに耐えてこそ、写真の道は開けるのだろう。そもそも三脚は、戦場で敵に狙いを定めるために安定感が必要だったことから生まれたと聞く。足場の悪い戦場をどんな場所でも安定した三本の足でしっかり銃口を安定させる。まさにタフな体力は撮影には欠かせない。


077

散歩

a walkway

年齢や興味にもよるが、今の時代は歩くことが勧められている。元々、歩くということは、意識にもせず、どちらかというと仕方なくか、仕事などで、しょうがなく歩いたものだ。長距離などは疲れることを避けて、乗り物に乗ったりもする。それがどう変わったのか、万歩計などという小道具も出てきて、まさに歩くことは良いことだ的な風が吹きまくっている。テレビなどでも有名人や憧れのスターなどが、やれ健康だとかスタイルをキープするために一日2時間は歩きます…などと、歩くことへの宣伝効果は大きくなってきている。まるで歩きたくないのは罪になるような雰囲気すらある。そもそも散歩というものは、中国の三国時代に貴族などに流行った、滋養強壮薬のほてりを冷ますために、歩いたたという話から、散歩という言葉が生まれたといわれる。薬による体の熱を散発する歩きから散歩となったという説。けっこう不純な話でもある。しかし散歩といえば哲学の道がよく知られているように、歩きながらの思索には効果がありそうだが、歩く距離ばかり自慢する話にはちょっとついて行けない。


076

コースター

coaster

英語ではcoaster、ドイツ語圏ではビアデッケル、(ビールの蓋)とウィキペディアにはあるが、簡単な説明の他は何も書いていない。それだけ取るに足らないものということか。日本語ではコップ敷きやコップ受け、グラスマットなどと呼ばれる。ただ、暑い飲み物の時など、安全とテーブルにシミをつけないなど、立派な役割もある。写真はスターバックスの純正のコースターだ。もちろん販売されているものでタダではもらえない。どういうわけか、スターバックスの店内では出てこないが。右のゴム製のものは、今は販売していなく、少し古いものだ。こうした他に紙製のコースターは世界中にコレクターも多い。初めは飲みに入った店の記念くらいでもらうことも多いだろうけど、だんだんその絵柄や店の雰囲気など、思い出代わりに溜まってくることもあるのだろう。お互いにトレードしたりと、コレクター道はしっかりあるらしい。ワインではあまり使った例を見ないが、オンザロックやカクテルには所作も含めて必須だ。こんな存在のものだが、酒の席での話題にきっと役に立っているのだろう。


075

マイク

microphone

英語圏ではマイクと呼ばず、マイクロフォンと発音するそうだ。マイク何々と人名でも頻繁に使うのでマイクだけでは混乱するのだろう。でも日本ではマイクロフォンと長ったらしくは呼ばない。やはりマイクだ。そのマイクが最近になってまた人気が出ている。カラオケや挨拶程度だった使い道が、リモートワークやユーチューバーなどの登場で一躍電気店の前面に並ぶようになった。パソコン内蔵やスマートフォンにもマイクは付いているが音が悪い。映像の違いより、音声の質の違いの方が気になることが多いものだ。写真のマイクはコンデンサー型と言って私が使っているものだが、しっかりした自然な音で録音できる。残念なのは自分の声があまりにもヒドい声質だということか。なんとか話し方を考えてはいるが、マイクの性能が良いだけに、あとで聞き直す度に自分の声がイヤになってくる。


074

凌霄花

Trumpet Creeper

「ノウゼンカズラ」たぶん。この花の名前を読める人は、花通なのだろう。漢字だけではなかなか読めない。植物と出合っても、名前を知らないと、何も分からない。どの種なのかとか、野菜か果物かとか珍しいものなのか、そうでもないのかとか。だから写真で後から調べるしかない。でも意外とそれが王道なのかもしれないが。写真のノウゼンカズラは夏から秋にかけて赤系の花をつける木だ。気根という幹などから伸びた根を伸ばして他の樹木や塀などに付着して伸びていく。中国原産で平安時代から日本では見られるらしい。私はあまり見たことはないが、ご存知だろうか。英語圏では花の形がトランペットに似ていることからトランペット・ヴァイン、トランペット・フラワーなどと呼ばれる。そういえばラッパに似た黄色い花の名が、エンゼルトランペットと呼ばれるのを聞いたことがあった。花言葉「名誉」「評判」だそうで、いかにもファンファーレ的な意味合いだ。


073

食用ほおずき

Golden Berry

スーパーフードのひとつだそう。体内の活性酸素の発生を防ぐベーターカロテン、脂肪肝を防ぐイノシトール、動脈硬化を予防するビタミンA、免疫力アップのバイオフラボノイドなど、多くの優れた栄養素を含むと言われている、まさに万能薬のサプリみたいだ。古代インカの頃から食べられている食用ほおずきは、別名ストロベリートマトとも呼ばれるナス科ホオズキ属の植物。サプリの広告のような文章になったが、きょう畑でとれた写真の実を初めて食べた。甘くて美味しい味。食べたとき、この味はどこかで食べた味だなーと思ったが、その時はなかなか思い出せなかった。しばらくしてマンゴーのような味かなと気付いた。それと後味にナッツの風味もあった。たしかに、小さなトマトのような形だが、その味は予想をはるかに超えていた。収穫量はまだ少なく、あまり見かけないが、きっとこれからブレイクするのかも知れない。


072

畳の目

Tatami Weave

茶人にとっての座標は、畳の目だという。知らなかった。何となく茶碗の置く位置や差し出す所作から、何かを基準にしているのだろうとは思っていたが、それが畳の目だった。400年前から決められた作法という。畳の一目はおおよそ1.5ミリ。ふためで3ミリ、そうやって測るのだというが、体型の違いや道具などのサイズで少しは変わってくるのか、それとも許容範囲があるのかは、門外漢としては恥ずかしながら分からない。畳は植物素材でシックハウスの問題も少なく、近年も若い建築主にも人気だと聞いた。自然素材の環境での子育てや癒やしブームが再び畳業界を支えているのかも知れない。畳の大きさで部屋の広さを表すのも、日本独特かも知れない。ただ少し調べると、畳の一畳と広さの「帖」とは同じ音だが違うようだ。京間、江戸間、格式によって縁の色が違うなど、作法やしきたりを調べると畳の奥深さがよく分かる。


071

変形野菜

Misshapen Vegetables

友人の畑でとれたキュウリだが、なぜか蜷局を巻いている。こうなると普通のキュウリではなく別な生き物にも見えてくるから不思議だ。野菜も生き物なのに…。パレイドリア(英: Pareidolia)とは心理現象のひとつで、あるパターンの形を別なものに想像してしまう現象(前出)。まさに植物なのに動物的なイメージといったところだろう。よく知られるのはダイコンやナスだ。人の体に似た形に育った大根やナスはインスタグラムやSNSなどでも話題になる。よくもここまで似たものだと感心するが、ダイコンはダイコンだ。フランスで一時期、奇形野菜を排除する動きがあったが、栄養価が同じなのに形で廃棄判断することへの弊害が指摘され、中止された。数年前からは逆に不細工な果物と野菜を買おうというキャンペーンも登場している。海外ではコンテストも行われるくらい話題になりがちなこれらの野菜だが、ヒトの勝手な想像の世界に振り回されている。


070

マキリ

makiri

マキリとは、マタギやアイヌなどが使う小刀のことだ。写真のものは、平取町立二風谷アイヌ文化博物館に展示してある女性用のマキリ。重要有形民族文化財指定のものだが、函館の函館市北方民族資料館でも数多く展示してあるのを見た覚えがある。印象的なのはその木製の鞘の彫刻だ。様々な模様が彫ってあり、二つと同じものが無いくらい多彩な文様がある。簡単な説明によると、個人のものを見分けるのに役立つそうだ。写真の女性用のマキリはひもが付いていて、おそらく腰の帯などに挟んで下げていたものと思われる。刀身そのものは展示が少ないので、分からないが、おそらく日常生活の中で大切に使われていたことと想像できる。肉や野菜を処理したり、野生の植物採取、布や糸などの切断など、現在のナイフと同じように便利な道具だったろう。どの時代にアイヌに鉄器が伝わったのか、私はまだ分からないが、和人と交易があった頃、ニシンやサケを捌くのに必要だったなどと言われるが、歴史を調べると、また別の興味がわいてくる。小さな道具ではあるけれど、その魅力と存在は大きい。


069

卵かけご飯

Rice with Raw Egg

新鮮な卵が手に入ったときは、やってみたいのがこの卵かけご飯だ。目にも鮮やかな黄身と炊きたての白いご飯にとろーっとかかる白身。これぞ日本人の朝のゴールデン朝食と言えるだろう。昔は家庭でも庭や納屋でニワトリを飼っていて、鮮度の良い卵が手に入ったが、最近は郊外の卵専門の店くらいでしか手に入らない。もちろんニワトリを飼って毎朝卵を手に入れるというのもアリだが、今はニワトリを飼うのに自治体の許可が必要なほど、難しい環境になっているらしい。日本人は生卵を平気で食べるが、海外ではこの食べ方は、異様な目で見られる。生の食材を使うときは海外では勇気がいるものだ。でも、最近では海外でもマグロなど「サシミ」文化が少しづつ広がっていて、そのうち和食レストランがある海外のホテルでも、ブレックファーストメニュに「卵かけご飯」が載るかもしれない。その時の注文は「Eggs on rice」って言うのだろうか。


068

デイライト

DRL

何かが起こらなければ、変えようとしないのは日本人の特性なのだろうか。ちょっと先を想像すればいろんなシチュエーションが浮かぶはずなのだが…。クルマの運転免許更新などの時、よく指導教官から「だろう運転」ではなく「かも知れない運転」を心がけて欲しい、と言われることがある。この、かも知れないという発想が、少し先を連想することだと思う。今回はクルマのヘッドライトの話だ。最近はなくなったが、以前は「ライト消し忘れてますよー」的な合図を対向車からもらったことがある。私は意識して10年以上前からヘッドライトは昼間もつけて走っている。デイライトの正式名称は「デイタイム・ランニング・ランプ」(DRL)というそうだ。日本でも道路運送車両の保安基準が変わったことで「昼間走行灯」と呼ばれる装置が新車から義務づけされた。あまり知られていないが。私がデイライトを始めたきっかけは、海外を走った時、半数ほどのクルマが昼間でもライトを点灯して走っていたのを見たことだった。あとで調べると、その効果で交通事故が減ったそうだ。良いことは早めに始めた方がいいのだが、日本ではどうだろう。


067

アプリケーション

Applications

この言葉を初めて聞いたのはいつ頃だろう。多くの人はおそらく数年前ではないだろうか。ちょうどスマートフォンが登場したころだと思うが、今では「アプリ」で通じる。誰もがアプリと呼ぶが、正確にはアプリケーションソフトウェアだ。コンピュータープログラムと言う方がより正確だろう。日本語で「応用」という意味のこの言葉は、コンピュータを操作するプログラムとして発展してきた。裏方的なその役割は音楽で言えば楽譜、演劇や映画で言えば脚本にあたるだろう。デジタル信号の巨大な組み合わせがメモリに書かれているものだ。インターフェイスではその存在すら意識されないが、まさしくそれなしではPCもスマートフォンもネットワークまでも動かない影の主役と言えよう。多くのアプリケーションソフトの中で、身近なものはゲームかも知れない。また、ビジネスソフトやワープロソフト、グラフィックソフトなどもその代表だ。写真のCDはアドビの有名なソフトウェアで1990年にMacintosh用に初めて発売され、35年以上もバイジョンアップを重ねながら使われ続けている。キラーアプリケーションと呼ばれるこのアプリは、もはやレジェンドと呼べるだろう。


066

忘れられた聖火

the Olympic Flame 

今から5年前に、かつてないほどの悲惨な五輪が、望まれないうちに開催された。実施そのものが問われただけでなく、その意義や目的や趣旨自体が揺らいでいた。あなたはもう忘れただろうか。そういえばあったな、と思うくらい忘れられている、そんなものだった。しかしスポーツに罪はない、と言いたいところだが、そもそもスポーツの起源は「暇つぶし」だとか。貴族階級の気分転換として誕生したものだとも歴史研究者は言う。もちろん、五輪憲章にもあるが、勝つことが一番でもない。しかし日本国内の放送などを見た限り、国別のメダル数の争いに見える。国の期待を背負うからこそ勝てなかった時に「土下座」しなければすまなかったり、銀メダルでも、申し訳ないと頭を下げる光景が見られる。気分転換どころではない、何か得体の知れない魔術にとりつかれているようにも見え、スポーツする無条件の喜びやら、心地よさは無く、ただ順位と記録としての数字がもてはやされている。苦しい中から努力して出場してきた選手たちには申し訳ないが、悲しい光景が繰り広げられた。そんな五輪ももう忘れられようとしている。


065

8ミリフィルムカメラ

8mm Film Camera

カメラの話題が続くが、1970年に開催された大坂万国博覧会の需要を見越して、富士フイルムが同じ年、発売した機種が写真のカメラだ。よく今の人が間違えるのは、8ミリビデオではなく、8ミリフィルムカメラだということ。つまりアナログフィルムに撮影する動画カメラということ。何だか、ややこしい言い方だが、しかたがない。その中には8ミリデジタルビデオカメラも別物としてあった。とにかく、すべて今はなくなったカメラたちということだ。撮影された動画を見る時は、長い8ミリ幅のプラスティック素材のフィルムが、カタカタと音を出しながら、リールからリールへ巻きとられ、途中で後ろから光が入って遠くのスクリーンへ動画を映すという、どこにもデジタルのかけらもない、映像投影システム。そのフィルム撮影をするためのカメラ。説明だけで疲れるが、この方式の方が原理を知るのは早いと思う。コマ送り、動画の尺、長回し、作品毎の一巻など、デジタル時代でもフィルムから連想する言葉も多く残る。


064

携帯電話専用カメラ

docomo camesse petit

今から26年前、ドコモの携帯電話は3,000万契約まで増加していた。モバイル通信などというコトバが流行りだした頃だ。今までの音声通話から、テキストや画像が通信機器に乗る時代を迎えていた。当時普及していたデジタルカメラで撮った写真はPCを経由して画像を取り込み、PCメールに添付の形で送り合っていた。ドコモとしては何とかテキストや画像送信を直接、携帯電話で実現できないかと考え、写真のような端末を発売する。「撮った写真をそのままメール」という、今ではあたりまえを目指した。名付けて「ドコモ携帯電話用メール通信専用デジカメ」だ。ドコモがカメラを作ったのだ。カラー液晶、タッチパネル、本体内蔵メモリなど努力の跡がみえる。ではなぜ、すべて一体化した電話にしなかったかが疑問だが、もし作ったら携帯の枠をはみ出した大きなものになったかも知れない。写真の機器は今はなき携帯関連のレガシーとして持っているものだ。ちょうどこの頃、iモードも始まっていたが、そのiモードは今年3月、ひっそりとサービスを終了した。すべて変わってゆく。


063

盆の入り

The Start of Obon

今年は8月13日だったそうで、正式には盂蘭盆会と言う。亡くなった人たちの魂があの世からこの世に帰ってくる時期になると昔から教えられてきた。墓や仏壇に手を合わせ、霊をお迎えをする。元々の話は、釈迦の弟子の目連が、亡き母が餓鬼道で逆さ吊りにされて苦しんでいることを神通力で知る。そして釈迦にそのことを話すと、夏の修行が終わった後に供物をささげ供養すれば母を救える、との逸話からだそうだ。サンスクリット語の「ウラバンナ」が逆さ吊りの意味だった。それが盂蘭盆(うらぼん)になったという。日本では飛鳥時代からこの風習がはじまったらしい。現在は、子どもの夏休みや夏期休暇などと合わせて、人々が集まるきっかけでもあるが。きのう私の家の墓と妻の実家の墓には、そっと手を合わせてきたが、あちこちで争いが絶えない不安な世に先祖様は帰らない方がいいかもしれない、とも思った。


062

スプレッドシート

spreadsheet

日本語ではこの呼び名より「表計算ソフト」の方が通りが良いと思う。あるいはマイクロソフトの「エクセル」と言えば分かりやすい。ビジネス現場でエクセルに触れない人はいないくらいの代表的なプログラムといえよう。マイクロソフトを代表するソフトウェアで、ウィンドウズマシン専用と言っていいアプリケーションだ。ただ、実は初めエクセルは、Mac用として誕生したことはあまり知られていない。1985年9月のことだ。当時売れていたアップルIIのキラーアプリとして人気に。2年後にはノウハウを生かしウィンドウズ版が登場する。当時のPCの代表的なソフトは、図形描画、表計算、データベースなど3つの機能がパッケージされたものが多かった。その後、表計算などに特化したソフトに進化する。写真のアップルワークスはワープロ、ドロー、ペイント、表計算、データベース、プレゼンテーションの6つの機能がまとめられ、教育現場も視野に入れていた。やがてその流れはグラフィックやプレゼンに優れたソフトの誕生へと繋がっていく。


061

ブランド

a brand

好き嫌いから始まって、結局値段が高いと言う流れで、しまいには商品が選択肢から外れてしまうブランド品の話だ。さらにおまけも付いて、失敗談や、果ては持っている人たちへの苦情まで広がる。言い換えればやはり話題が豊富と言えようか。ブランドとは何か…などと、よく解説記事や初心者への説明が書かれていることもあるが、実際はよく分からない。言えるのは使い手が試される品物だということか。シャネルNo.5で有名なココシャネルが、大戦中にナチスのスパイ活動を手助けしていたとか、かならずしも有名ブランドには聞こえのいい歴史ばかりがあるわけではない。商品、あるいはサービスでのブランド価値は、負の歴史を含めて、差別化の歴史だ。良くも悪くも長い時間の中で熟成され、世に出てきたものだろう。例え生まれがどうであっても、商品価値が変わるわけではないと思うが、どうだろうか。最近ではユニクロ製品も中国の人権問題まで絡む難しい環境になっている。品物に罪はないが。


060

手袋

gloves

季節外れの話題だが、書いておく。今から10数年前くらいだろうか。何となく冬になると車のハンドルを握る指先が冷たく感じた。動きも少しぎこちない。北国育ちの私は、それまで雪を直接触る意外は手袋をはめたことはない。子どもの頃から寒さには強いと自覚していたし、実際手先が冷たくて我慢が出来なかったことはなかった。しかし年齢なのか皮膚の耐性が落ちたのか分からないが、冷たく感じることが多くなった。冬の関東などでは雪はないが風が冷たく、二三日滞在していると、手袋とマフラーが欲しくなることがあった。そんなことで、しばらくして写真にある皮の手袋を使い始めた。かなり使い込んできているが、自分の手の形にほぼなっていて、まるでもう一枚の皮膚のようだ。皮が破けて穴でも空いたら取り替えようと思うがまだ大丈夫みたいだ。この手袋をつけてハンドルを握ると、以外にしっくり安定する。ドライバーズグローブというわけでしばらくは冬のドライブには欠かせない。


059

インスタントカメラ

Instant camera

自分ではポラロイドという言葉の方が馴染みがあるのだが、その名も知らない世代が多くなってきている。ただ、ポラロイド風な写真は若者にも受けているようだ。デジタル写真にはない表現や質感、一回限りのショットなど、話題があるのだろう。写真はストックしてあった富士フイルムのインスタマチック用のフィルムだ。経験があるかもしれないがポラロイド写真はとにかくあっという間にフィルムが足りなくなる。いい気になってパシャパシャ撮っていると30枚くらいはあっという間だ。ゲームセンターで積んであったコインが見る見る間になくなるのと同じで、とにかく枚数が足りなくなる。そこで気がつくのは、つまりワンショットの重みがデジカメとは違うということ。だからこのフィルムが特別なのか。その時のその景色や表情がその場で残る。まるで時間をスライスして目の前に差し出す感覚。たとえその一枚の写真がブレていようとも。大切なのは写っているその時間なのだ。


058

ミニカー

Miniature Cars

写真のトラクターのミニチュアは1970年代にドイツ・ジク社が発売した亜鉛合金製のミニカーだ。すでにビンテージカーと言ってもいいだろう。乗れないが…。ドイツ・ジク社自体は1921年創業なので、さらに古く100年の歴史があり、今も新製品を発売している。ミニカーはイギリスで始まったと言われ、有名なマッチボックスの歴史によると、ダ亜鉛合金製品を作っていた父親の娘が「学校に持って行けるおもちゃはマッチ箱に入る大きさなの」と言ったことがきっかけになり父親が作ったとか。その後、このミニカーの魅力は世界中に広がっていった。日本製も人気だ。写真のミニカーに話は戻るが、ドイツのミニカーは農業機械など、作業車が多いという。根っからの働き者のお国柄だったのだろうか。このミニカーの実物モデルは今はもう残っていないかもしれないが、7センチにも満たないミニカーを眺め、なんとなくその時代と、ドイツの農園風景、汗する人々が働く姿までもが、想像できそうな気がする。実はミニカーの魅力はそこか。


057

単眼鏡

monocle

monocleと英語表記は、正確ではないかもしれないが、要は望遠鏡の両眼タイプではなく片目のものだ。なぜ両眼の望遠鏡ではないのかというと、やや使い方が違う。一部だけをよく見て確認したり、またポケットに入る小型に出来るなどが、その理由だと思う。その昔は双眼鏡ではなく単眼鏡だった。でも、余計なことだが天体望遠鏡はなぜ双眼鏡ではないのかという疑問がある。これはクイズ的な疑問かもしれない。小さな天体は二つの視野で見ても立体的ではないからか。いや、そんなことはない、天体も立体なはずだ。誰か教えて欲しい。写真の単眼鏡は、衝動買いのもので、別に使い道があって探したものではない。偶然店頭で見かけ、そのスタイルと作りに惚れてしまった。プラスチックの安物ではなく、革張りのケースまで付いて、ポケットの中でもゴツゴツしない。つまり持ち主にも優しいつくりになっている。これをポケットからそっと出して使うのはステージ鑑賞や展覧会会場あたりだろうけど、ちょっと大人の小道具だと思う。


056

ロディア

RHODIA

メモブロックと呼ばれる、メモ用紙の話だ。ロディアと聞いて「あれね!」と答える人は文具に詳しい人ということだろう、たぶん。それほどスタンダードなこのメモ用紙は、1900年代からフランスで使われてきた。今時、紙なんてアナログ文具と思うなかれ。それは間違いだ。なぜかというと使ってみるとすぐ分かる。電池もいらず、落としてもふんずけても壊れない一枚の紙が、そこに残されている内容によっては、世界をも変えてきたかも知れないのだ。紙はほぼ永遠かも。日本にも数多くの優れた紙の文化があるが、このメモブロックは長い間、様々な人たちのポケットや鞄に入れられ、数々の記憶を助け記録をとどめる役割をはたしてきた。写真は私が長年使っている、ロディアの中でも一番小さいサイズのメモだ。ポケットの隅であちこち揺れて角が崩れるので、革製の立派なホルダーに納まっている。15年以上前のものだ。何度も言うが、電池もいらず、ふんずけても壊れない、くしゃくしゃになっても何とか読め、ちぎって人にも渡せる優れものだ。ただ火と水には弱いが…。


055

ウォーキング

walking

ウォーキングは散歩とは違う…とよく言われたものだ。似たような動作の違いを言い合ってもあまり意味がないように思えるが。歩くことはよく、人間の進化の過程と例えられる。生まれながらに立って歩いたのはお釈迦様くらいで、新生児はまだ立つことすら出来ない。子ども時代には走ることは苦にならず、どこまでも走ったり歩いたり出来ると思えたほどだ。年齢と共に、というかクルマや色々な乗り物に乗るようになり衰えたと言う方が合っているかも知れないが、歩くことが出来なくなるものだ。皮肉なことに歩くことが出来なくなってから、歩くことの大切さに気付く。写真の森を今日歩いてきた。歩けることの大切さを実感しながらの小一時間。歩く目線での自然のうつろいなど目からの刺激が心地良い。人は最初から歩けるわけではなく、最後も歩けなくなるのも人生なのだろう。何かそこには運命的なものがありそうな気もする。


054

EV

Electric Vehicle

欧州では、2035年までに自動車製造のほとんどが、電気自動車に切り替わるという。つまりこのあと10年間で新車はすべて電気自動車になることになる。今までは遠い先の話だったことが、まさにものすごい速度でクルマが変わる時代になった。そのうちとか将来は…的な考えはもはや時代遅れかも知れない。ハイブリッド車は今でもたくさん走ってはいるが、所詮ガソリン車だ。問題はガソリンを使わない、ガソリンスタンドは充電スタンドになり、ガソリン車を利用し続けるとなると、ガソリンを売っているスタンドを探さねば、という時代になるということだ。クルマのスタイルや見かけが変わらないからといって、実は根底から変化している。自動運転もその変化を加速させるだろう。私はもう少し運転を続けようと考えているが、ふと考えると次はEVに乗っているのかも知れない。写真はハワイで8年前に私が初めて乗ったテスラのEV。勿論、エンジン音は全くしなかったのを憶えている。


053

ブラウン管

cathode-ray tube

正式には、陰極線管と呼ぶそうだが、今でもCRTと呼ばれることがある。これは、陰極線管のcathode-ray tubeから由来する略語だ。ご存知の有名なYouTubeの名前はここから来ていて「あなたの陰極線管」てな訳だ。実際には数年前から廃棄処分が進み、どこの電気店でも姿を見ることはなくなった。今やレトロ品扱いになっている。発明者のカール・フェルディナント・ブラウンの名前がそのままブラウン管になったが、そろそろ液晶画面しか知らない世代が登場しつつあり、ブラウン管の向こう側に…などと言う言い方はこれからどう表現したら良いのか。単に画面の向こう側という、なんとも面白くない表現になるのかも。しかしYouTubeという名前の中には、きっと生き続けるだろうけど。


052

カンバセーションピース

conversation piece

ほとんどの人が聞いたことがない言葉だと思う。思うと言っては失礼だろうか。きっと「それくらい知っているよ…」という人がいるかも知れないが。元々は美術用語だったそうだ。私もつい最近、アメリカのコロナ感染で苦しむ人の話題の放送の中で知った。それまで私が知っていた同じ意味の言葉は「トーキング・グッズ」だった。何となく和製英語っぽいが、つまり話題をつくるモノということだ。初対面での会話の時など、始めに何を話していいか分からないものだ。そんなとき、会話のきっかけを作ってくれる、いわば助け船的なモノたちのことを指す。ヨーロッパの貴族の社交界など会食の時、テーブルに乗っているちょっと変わった陶磁器が、会話の始まりだったなんてことも想像できる。珍しいモノやきれいなモノはどんな人も惹きつけるチカラがあるものだ。写真は陶器製の小さな小物入れだが、ワインとお皿を添えた小さな人物が蓋に飾られ、今にも何か言いたげなポーズで話題のきっかけを待っているようだ。


051

GoPro

action camera

2002年頃から登場したこのカメラはすでに20年以上の歴史がある。一般にも知られるようになったGoProというカメラは初めはサーフィンを撮影するため創業者が考えたモノだった。生まれがスポーツに特化したカメラだったことから、その後スノーボードやマウンテンバイク、アクション性の高いスポーツ系用に進化していった。画質も年々上がり、テレビ放送にも十分耐えるものになってからは、今やこのカメラで撮影したテレビ番組や動画を見ない日はないくらいにプロの現場でも使われている。まさしく名前が目指すカメラになった。私もタイムラプスなどに使うが、一番印象的なのは、動画の目線がこのカメラの登場によって変わった、ということだろう。今までは体験者しか見られなかった、例えばスカイダイビングからの動画が、誰でも見られることだ。このカメラは、視線がそのまま動画になる強さを持っている。映像環境にこのカメラが果たした成果は大きい。これからはAIによる無人の動画が増え人間の視点をも超えていくことだろう。


050

箸置き

Chopstick rests

食の文化が激しく変化している。たぶん食べること自体はそれほど変わってはいないと思うが、食べ方やら食事の周辺環境は激変している。昔から食事の時、個人のご飯茶碗がなくなったら、日本の食文化は、新たな時代に入るだろう、と思ってきた。うまく説明できないが、食卓で個人個人の食器の区別がなくなり、箸や主食の茶碗が共用されたとき、それまでの食文化は別な意味を持ち始めるだろうと。個食の時代とも言われる今だが、たとえ一人で食べる行為でも、食べ物に対しての感謝や作った人への気持ちを考えることは出来る。また、自分自身に対して食べるという行為をエサと区別できる最後の行為が食事というものなのだろう。食べることは生きることそのものだ。それでもただ生きるのか、そこに生き方や社会性や食を文化まで高めてきた先人の知恵や工夫を感じながら食べることは、それもまた人として生きることに繋がるのだろう。箸置きは食の作法から無言でそれを教えてくれている気がする。


049

アップルグッズ

Apple Goods

なぜか、アップルグッズを集めてしまった。世界中にアップルやMacファンはたくさんいるが、その人たちがすべてアップルグッズを集めているかと言えばそうではない。やはりその中で一部の人たちだろう。中にはアップルファンではなくても持っている人もいるかも知れない。それくらいアップルグッズの人気は今でも高い。確かにアップル製品を買うと、今でもリンゴマークのシールが製品と一緒に箱に入っている。なぜシールなのかは、調べてはいないが、iPhoneでもAppleWatchでも、最近のM1チップのiMacでさえ、製品と一緒に同梱されている。昔、色んな製品にワッペンやらシール、しおりなどが販売促進用として入っていた時代があったが、これほどシェアをつかんでいる世界企業のアップルが今もシールを配っているのは、逆に面白いと言えよう。ただ、集めている人たちから言うとシールよりは、オールドMacあたりのビンテージっぽいグッズの方が人気は高い。ノスタルジーなのか、違った意味で新しいのかよく分からないが、コレクターは減ってはいない。


048

海辺のアート

Seaside Art

たまたま海岸を散歩する機会があった。何気なく打ち寄せる波に沿って海岸を歩いていると目の前に流木が作る形が現れた。ここが美術館ならまるでアート作品だ。偶然にしろ誰かがいたずら半分にせよ実に見事なインスタレーションだった。そこからしばらく歩くと他の場所にも様々な流木が作る形が見られ、あっという間に2キロ以上歩いてしまった。流木の肌は白く、硬く、長い年月を経て流れ着いたものに見える。どこから来たのか、またどれだけの時間を漂流していたのか、そんなことを考えながらのウォーキングの時間は、今までに経験したことの無い不思議な時間だった。流れ着くものが運んでくれる物語や時間は、想像力を豊かにしてくれる。昔、伊良湖岬の恋路ヶ浜を歩いたことがあったが、椰子の実を見つけることはできなかったが。


047

ユニセフ募金

UNICEF Fundraising

ときどき買物に行く生協の売り場の片隅に「ユニセフ募金」というコーナーがある。使わなくなった服や食器、身の回りのもの、本類などが置かれていて、欲しい人は小銭を募金箱に入れる仕組みだ。私も通りかかったときに手に取ったりするが、先日そこで10年前に発行されたパソコンの便利なガイドブックという雑誌を見つけた。「iCloud使いこなしガイド(三才ブックス)」という雑誌だ。どちらかと言うと秋葉系のオタク雑誌をメインに発行している小さな出版社の本だが、1980年ころからというけっこう歴史は古く、当時のデジタル事情を調べるのにちょうどいい資料だ。写真はプーさんの玉乗りのおもちゃ。これも同じコーナーの隅に置かれていた。あちこち擦れていて、おそらく遊んだ後に使われなくなり、誰かが置いていったものだと思う。このコーナーは通常の売り場と違って、意外なモノが並んでいたりするのがけっこう面白い。


046

シミュラクラ現象

simulacra

きっと誰でも経験していることだと思うが、日常の小さな出来事の中には興味深いものもある。例えば写真を見ていただこう。何気ないどこにでもあるような街の住宅街の風景だが、実は気がつかない人は多い。しかし、この小さな日常に潜む不思議に気がつくと。急に現実が現実として成立しなくなり、不思議の世界に入り込む。表題のミシュラクラ現象やパレイドリアと呼ばれる現象が有名だ。風景の中に顔を見つけたり、雲の形が動物に見えたりと、色々なものに見えてくる現象は意外と多い。昔から宗教的なチカラに結びついたり、予言や信仰にも登場している。人の脳が作り出すと言われるが、近年はコンピュータビジョンプログラムでディープドリームなども話題になった。AIの開発は実は自分たちの脳の解明に他ならない。人の脳が起こす様々な現象からAIはより人への進化を続けるのかも知れない。


045

杖

cane

誕生日に欲しいものはと聞かれたので「杖」を買ってもらった。そう書くと「どこか悪いの?」と言う声が聞こえてくるが、別に普通に歩けると思う。ただ、そろそろ杖の使い方を覚えようかと思い、マイ杖を持とうと思っただけだ。でも世間の目から見ると、どこも悪くないのに杖を持つ、と言うことが不自然に思えるらしい。つまり、歩くのが難しい人が使うものと。杖とはそんなイメージが一般的になっているようだ。しかし、驚くなかれ、そんな考えは完全に否定されるほど杖の世界は、想像を超えている。権威の象徴として王が持つ杖、錫杖と言われる修行僧や修験者が使う杖、遍路道で使う金剛杖、登山の時の杖、マジシャンや魔術で用いられるケーンと呼ばれた杖、日本武術にも登場する杖術、ご存知、医療で利用される歩行杖、白杖、松葉杖、黒檀や象牙で装飾された礼装時の帽子と杖、RPGゲームの定番アイテムとしての「ワンド」「ロッド」と呼ばれる杖、なんとオーケストラの指揮者の「タクト」も杖が起源とか。日本でも明治、大正時代に杖を持つことが大流行したことがあった。どうだろう、まさに文字の記録以前から存在した、まさに人が使う道具のスタンダードだ。転ばぬ先の杖と先人も言い残している。転んでからは遅いのだ。


044

甘さ控えめ

mildly sweetened

いつの頃からか、控えめ表現が多くなった。高血圧の原因は塩分の取り過ぎ、または高血圧を加速するなど、塩分が敵視されてきたが、たぶんそれは事実なんだろうと思う。ただ一方で過度の心配から適切な必要塩分不足もささやかれている。一体自分たちはどちらへ向かうのだろうという疑問も出てくる。当然、適切な量を摂取すれば、という答えが返ってくるだろうけど、それが分からない。あるいはどこまで控えれば良いのかさえつかめないのが現状だ。そんな中で「控えめ」表現が効いてくる。写真のように甘さ控えめのお菓子が売られているのは日常になってはいるが、甘くないようかんは羊羹なんだろうか。何度か控えめと言われる商品を食べてはみたが、何となく中途半端な味だった。健康のために味覚文化も変わっていくのだろうか。そして健康にあまりよくない事はすべて消えてゆくのだろうか。


043

レコード

Record disc

針を落とす…という表現はもう使えないかも知れない。昔はあたりまえ。少し前まではそう言えば通じたが今はもう死語に近い。レコードがたどってきた歴史は、これからどう変わっていくのだろうか。新たな進化も、もしかすると始まり、付加価値として特別なアナログ音源が大切にされるのかも知れない。針がレコード盤に降りた瞬間の「ボッツ」という音。そして無音の間の「シュアー」っという音。本当はノイズと呼ばれ音楽ファンにとってはマイナスイメージだったものが、逆にレコードにしか出せない音となった。大事に思い出のレコードを持っている人も多いだろう。音をモノとして保存する、また音源に触れる魅力。茶道での所作に似たレコード再生は新たな視点でこれから見直されるのかもしれない。音楽を愛する心と共に。映画メカニックの中で、主役のジェイソン・ステイサム演じる凄腕の殺し屋アーサーが、隠れ家で大切にしているレコードプレーヤーがある。弟子のスティーヴには触らせない。その理由は…。興味がある方はご覧になっていただきたい。


042

本人確認 3

Identity

同じテーマで3日も続けているが、簡単なテーマではないので勘弁してもらいたい。本人を確認する簡単な方法は誰も知らないと書いた。つまり原点から考えてみるとそれだけ難しいということなのだろう。自分が自分であることを証明することが、実は難しいことなのだと。ましてや他人に証明することは同じく難しいのだ。そんなに難しく面倒ならしない方がいい、と簡単にはいかない。なぜなら今というデジタルデータで物事が廻っている時代では避けて通れない課題だからだ。とりあえずは確認するすべを持たなければ、買物すら出来なくなってきている。何とも面倒な時代だと思う。今までは、容姿や名前、服装など、アナログで記憶できたものが、たとえ分かりきっている人であっても本人確認を求められるのだ。そして相手も分かっていても何か証拠を示してもらわないと、次へ進めないやっかいな仕組みになっている。もちろんその仕組み自体にも問題があるのだが。


041

本人確認 2

Identity

データについては実はひとつの分野が出来るほど幅が広い。何だってデータだと言えば言えなくもないがそれでは実態がつかめない。でもたとえそうであっても、今は真剣に考えないとならない時代になっている。たとえば生年月日という本人確認にも使われるデータを考えると、よく誕生日の月日はパスワードには絶対に使うなと言われるのは、パスワードとしてはあまりにも貧弱で鍵の役目をはたせないからだ。確かに覚えやすく本人しか知らないような気がするが、たとえば2026年で計算すると1月1日から数えて365個しかない数なのだ。日本の人口から考えるといかに少ない数なのかわかるだろう。2026年度の全人口は、1億2,293万人だそうだ。ざっと計算すると同じ誕生日の人が約33万6千人いることになる。もちろんバラつきはあるだろうけど、33万人がおなじ数字だとしたら、パスワードにはならない。まして個人を特定もできないことになる。年号を足せば少しはばらけるが。じゃあ、どうすれば個人を特定できる確実で簡単な方法があるのだろうか。実は恐ろしいことに誰もその答えを知らないのだ。


040

本人確認 1

Identity

現実問題なのに真剣に考えようとしないことがある。本人確認もそのひとつだと思う。例えば自分自身を相手に証明するにはどうしたら良いだろう。ずっと以前なら、そんなことは、ばかげたことで誰も真剣には考えなかったと思う。しかし現在は、笑って済まされなくなっている。健康保険証、運転免許証、クレジットカード、パスポート、マイナンバーカードなど何らかの証明書と言われるものは確かにあるが、それが本当の意味で本人確認になるのだろうか。それらはただの証明書にすぎない。いくらでも複製を作る事も出来る。じゃぁ、身体情報はどうだろう。証明になるのでは…。身長、体重、血液型、病歴や、目の光彩や指紋などいくつかの情報をあてはめれば、二人といない本人証明になるだろうか。だが落とし穴は、それらの多くは数字などのデータに置き換えられたものだ。経過誤差もあるかもしれない。網膜や指紋は確実性がありそうだが、それも実はデーターベースでしかない。続きは明日書こう。


039

花

blooms

こんなテーマで話になるのか分からないが、とにかく書いてみる。基本的に花には興味がない方かも知れない。嫌いでもないが、育てるほど好きでもない。つまり普通という曖昧な感じだと思う。ただひとつ意識しているのは、花と人の関わりというか、花と人間が作ってきた文化みたいなことは常に意識している。たとえば人が花に託す気持ちの表現とか目に見えないものを伝える花という存在だ。生け花が空間を演出して言葉ではない何かを生み出す力。単に癒やしとしての花ばかりではなく、生命の姿や枯れゆく姿など、寄り添う存在としての花には惹かれる。それと、昔から花を贈るのが好きだった。相手は男女を問わない。花には気持ちを込められる強い力があるように思えるからだ。男も、花を飾り身につけることも重要なことだと思う。そしてそれにはまず、花が似合う人にならなければならないのだ。


038

キャンプ

camp

昔はよくキャンプへ出かけた。30数年前だからキャンプブームの始まりの頃だったろうか。慣れないテント張りや、炊事道具の用意、何を料理してよいやら、キャンプ場は、まるで避難生活をしているかのような、とても今のようなオシャレな風景じゃじゃなかった。その頃、凝り性だった私は当時はまだ名も知られていなかったコールマンのキャンプ道具を買いそろえ、どうせならと楽しく過ごせる工夫を考えた。ホワイトガソリンのツーバーナーのコンロ、空気圧で数時間持つランタン、今じゃあたりまえだが、パイプで支えるテントなど、その時はできる限り新しいキャンピング道具をそろえた。おかげで今でも多少修理はしているが、現役として使える道具たちがある。逆に、今ではアンティークとして人気が出てきた。ただ、シンプルだが、これだけはそろえたいのは、ナイフだ。十徳ナイフでなくても良いが、せめてしっかりとした実用ナイフは欠かせない。写真の愛用品は数十年前から使い続けているスイス製のもの。もとは兵士の携行用のナイフだった。ナイフ一本で生死を分ける場面で使われてきたものだ。でも私は、出来ればコルクスクリュー付きで、たき火を眺めながらワインが楽しめるというのが最高なんだが。


037

バスケットシューズ

Basketball Shoes

私の大学時代にスニーカーが登場するが、その頃履いていた靴と言えば、ほとんど毎日バスケットシューズだった。しかもロングタイプでくるぶしまである靴だ。運動もしないのになぜ履いていたのか、おそらく室内も靴を履いたままだったし、行動しやすかったのだと思う。それまでの高校生活はズック靴が主流。バスケットシューズは確かに普通の運動靴よりは値段が高かったが、軽くて長持ちした。会社勤めになってからは、もちろんバッシューは履けない。大学時代の時の懐かしい思い出だ。写真のバスケットシューズは、ジョーダン・ブランドの「NIKE JORDAN B’LOYAL 315317 161」というモデル。2007年製でエアジョーダン6を未来風なシューズにデザインしなおしたモデルだ。会社をリタイアしてから、ふとデザインが気に入って手に入れた。70過ぎたジイサンが履く靴でもないが、この靴に惹かれたのは、きっと大学時代の思い出がどこかに隠れていたのだろう。19年以上経つが、そのデザインは色あせない。


036

靴べら

shoehorn

昔から靴を履くことがヘタだった。子どもの頃は、ゴムの短靴や長靴ばかりはいていたので、ヘタでもかまわなかった。靴べらを持ち始めたのは、仕事をし出した頃からだと思う。背広やネクタイのスタイルだと革靴が主流になるのでかかとを踏んだまま、という訳にはいかない。しかも、学生の頃はバスケットシューズをきっちり足首までひもで締めて履いていたので、やはり革靴とは縁がなかった。その頃の若い学生は、ズック靴のかかとを踏んづけて履いていたが、自分はなぜかその中途半端の履き心地がいやだった。もちろんスニーカーなどはなかった時代だ。写真の靴べらは屋久島へ行ったときの記念で自分用に買ったもの。樹齢千年経たないと屋久杉と呼ばないと言われ、乱伐で大きな木がなくなりもう切ることが出来ないらしい。この靴べらの屋久杉は建材にはならない根の部分を利用したものだ。杉なので軽く、明るい色でしかも木目がしまっていて使い心地はいい。靴べらにはもったいないくらいだ。


035

電卓

a pocket calculator

憶えていないが、子どもの頃は電卓はまだなかったと思う。ハッキリとした記憶がないので…。ただ、雑貨店や事務所などで手回しハンドルが付いた機械式の計算機らしきものを見た覚えがある。当時は現在のようなポケットにも入る電卓はなかった。その後、カシオやシャープ製の卓上型の計算機が登場したと思う。それまではそろばんしかなかったわけだから、大きな計算などは大変な手間だったと思う。計算尺もあったが、使われる用途が一般的な計算ではなく、少し専門的なものだった。それを中学の時に習った覚えがある。もちろん使い方などはとっくに忘れてしまったが。昔から計算が苦手な私は、今でも簡単な計算に電卓を使うことが多い。手元にあるものは100均でもかまわないが、道具としての完成度はやはり名機にはかなわない。写真の計算機はニューヨーク近代美術館にも保存されているブラウンのもの。いいデザインは時代を超えて不滅だという見本のようだ。今でもiPhoneの電卓アプリを起動すると、Appleがこの計算機のデザインをモデルにしたことが分かる。


034

T シャツ

T-shirt

平らに置くとT字形になる、丸首で半袖のメリヤス編みのシャツと言えば、それで説明は終わる。写真のTシャツは私が今、着ているもので、かなり着古したものだ。ハワイで買った、Maid in USAのシャツ。ただ、かなりくたびれてきているのだが、ネット情報などでは、古着としてもある程度価値があるらしく、手頃な値段で売られていたりもする。私の大学生時代頃からTシャツが流行ってきたと思い出す。ウィキペディアによると「欲望という名の電車」で出演者のマーロン・ブランドが着ていて、そこから広まったという解説だ。いわゆる反抗世代ばやりで、肌着のシャツが受けたのだろうと。今でもよく着るが、最近はエイジングといって古着にも人気があるそうだが、私は人の着たシャツを着る気には、まだなれない。贅沢なのだろうか。あなたはどうだろう。


033

ノベルティ

novelty

一日一筆を始めてから、1本分の文章を書く時間を計っていなかった。別に時間はあるのだから何時間かかろうがいいようなものだけど、気になったのでこの回で計ってみる。ところで今日の話題だが、映画の宣伝や封切りに合わせて色々なノベルティグッズが作られる。そのモノの話だ。代表的なものはパンフレットとポスターだろう。実はこのパンフレットやポスターも数種類作られることがある。もちろんメインのものが代表的だが、地域に合わせたり配布先によって違ったりする。以前、映画プロモートの仕事をした経験から言うと、大作など一般客向けではなくメディア向けに配られるものも多くあった。内容は結局は同じようなものだが、相手に合わせ工夫されていたものも多い。宣伝用のパンフレットはプレスと呼ばれて別にあり、記事紹介用など、より詳しい内容のものもあった。一方、写真のピン(1997年)もノベルティの一つだが一般の観客にも売られていたかどうかは、今となっては分からない。オークションなどでもノベルティグッズはよく出てくるが、値段は安く数百円だ。画像検索したが、写真のピンは出てこなかった。だからといって貴重なモノとは限らないが。
ここまでで、この文章は約20分30秒かかった。


032

ライター

lighter

以前にたばこのことを書いたが、きょうはライターの話だ。その前にマッチという話題もあると気がついたが、今回はライターだ。実はたばこを吸っていた時代、もう50年も前になるが、ハッキリ覚えていることは、禁煙するまでとうとうライターを持っことはなかったことだ。それ以後もない。マッチで十分だったのだろう。だから写真のライターは父のものだ。父はたばこも吸っていたが、パイプも使っていたので、そのために使っていたのかも知れない。このライターを見ていると、いかにも時代を感じる。男の道具らしくクロコダイル風の皮が巻いてあり、力にも耐えるしっかりとした作りだ。これはガスライターだが、昔、ジッポーに憧れたこともあった。知り合いが使っていてカキーンという蓋を閉めたときの音が、今でも耳に残る。喫煙者がめっきり減った今は、酒席でも見かけることは少ない。100円ライターなどを多く見かけるのは、花火やキャンプシーズンくらいだろうか。でもたまにはバーベキューなどの時にスマートに出して使ってもいいのかもしれない。


031

フィルターバブル

filter bubble

私はSNSを利用していない。ラインも使わないし、フェイスブックやインスタグラムにも縁がない、というか疑っているので、近づく気になれない。「百害あって一利なし」のことわざ通りだと思っている。これだけ嫌っている自分は、自分でもおかしくなって笑ってしまうが。スマホは、人より先に使い出した。まだ、スマートフォンという言葉がない時代にiPhoneを使ってみた。携帯するPCというものを予感したからだ。珍しがった周りの人に「これは電話ではなく、ポケットに入るコンピュータです」と得意そうに触れ回っていた。もちろんその当時は皆ヘンな顔をしていたが。今でも確かにその理屈は合っていると言えるだろう。もしかするとそれ以上なものに進化している。社会の分断を加速すると言われ続けているSNSの世界。自分の都合にあう情報ばかりに取り囲まれている現在。これをフィルターバブルと呼び様々な問題が指摘されている。気づかないで毎日使っている人がほとんどだと思うが、使用者が気がついていないというのが恐ろしい…。


030

団扇

a (Japanese) fan

【うち翳】、とても書けそうもない漢字が当てられているが、「は」と読むそうだ。昔は大きな葉などでムシを追い払ったり打ちはらうことから「打つ翳」→うつは→うちわ。「団」は丸いの意。「扇」は扉を開け閉めして風が起こることから、いつの間にか団扇になったとか。そんなことは知らなくても、誰だって団扇には思い出があるものだ。焼き鳥を焼く渋うちわやキャンプでの火起こし、浴衣掛けのアクセサリーなど、いろいろ思い出す場面もあるだろう。季節を感じさせてくれる夏の道具でもある。お中元やお祭りにも登場していたが、最近は扇風機やエアコンにおされ、屋内ではあまり見かけなくなった。アナログというより、すでに素朴、繊細、手仕事、伝統という分野になってしまったのか。でも日本人の心の中にあるモノには変わらない。最近、団扇の評価に対しては外国の人の方が高くなってきてはいるが日本人としても大切にしたいと思う。写真の団扇は京都で買ったもの。毎年7月には飾って夏の風を感じて楽しんでいる。


029

ケント

KENT

かれこれ53年前のたばこのパッケージだ。すぐ捨てられそうなたばこの箱など、なんでとってあった、と思うかも知れないが、確か、禁煙を決めたときの最後のたばこだっただろうと思う。残り一本を箱に入れ、そのまま53年。この箱が残ってることで、その当時の記憶がよみがえる。子どもが生まれたのでやめた記憶がある。吸い出したのは大学に入ってからの頃。よく、隠れて高校時代に吸い始める人も多いが、その頃私は、たばこには興味がなかった。部活や受験に忙しかったのだと思う。初めて吸ったのがケントだった。その頃たばこ屋で一番軽いたばことして教えてもらったのが理由だ。たばこを堂々と吸える年齢ではあったが、初めてということで不安があったのかも知れない。しかし値段は高かった。後から考えるとたばこ屋に欺されていたかもしれないが。さすがにその後、安い缶入りのショートビースに移っていったが。と言うわけで、生涯吸ったのはこのケントと缶ピースだけだ。


028

キラーアプリ

a killer app

知ってる人には、何んで…、的な話題だが馴染みのない人にとっては、全くと言っていいほど知らないものだ。ただ、知らないと言っても毎日、目にする印刷物や電波媒体、またはWebページまでもが、このソフトのお世話になっている有名なコンピュータアプリケーションだ。写真や画像を処理するソフトウェアとして有名なもの。もちろん使われている現場は専門の人たちが使う場所だが、アプリケーションソフトの使用率では世界中でダントツのソフトウェアになるだろう。歴史は古く、ほとんどPCの発達と同じに進化してきた。同じネーミングでバージョンアップを重ね、現在も進化し続けているソフトウェアとしては異色とも言える。最近は写真を趣味にしている人が増えているので、一般の人たちにも知られるようになった。このソフトの名前を知らない写真関係者はモグリとも言われ、からかわれていたほど。個人的には好みもあり、競合ソフトもあるが、この先もキラーアプリの立場は変わらないだろうと思う。


027

羊羹

Yōkan

別の日の文章にスウィーツと言う言葉があったが、きょうは日本に古くからある、まさしく甘いものの代表羊羹だ。発祥は中国の羊のスープらしいが、煮こごりのゼラチンがなごりとも受け取れる。ご存知の通り小豆の餡と寒天で作られてはいるが、初めの頃は貴重な砂糖が使われた。砂糖羊羹と呼ばれ奄美などの黒砂糖が使われた貴重な献上品だったそうだ。その後、寒天、粗糖、小豆で作られた練羊羹が登場、秀吉にも献上されている。和歌山の鶴屋5代目岡本善右衛門が作ったとされ、発祥もはっきりしている。全国には鶴屋改め総本家駿河屋からの分家やのれん分けが数多くあり、土地柄も加わり広まった。羊羹の出現は、和菓子の可能性を広げた革命とも言われるが、確かにそうだと思う。写真は北海道で親しまれている銘柄だが、いつまでも守っていきたい、私の大好きな郷土の甘い味わいだ。


026

舞台

stage

なぜか舞台とかステージと言う言葉に惹かれる。別にミュージシャンでも役者でもないが、仕事上何度かステージに上がることがあった。普通の人生というものがあればの話だが、たとえば普通は舞台に上がることなどあまりないものだ。古くは卒業式の時とか、入社式など挨拶の場でしか上がらない。でもステージとか舞台などとなると音楽演奏会だとか発表会でドキドキしながら登るというのが数少ない経験だろうと思う。あとは結婚式くらいか。いわゆるひな壇としてだが、舞台は慣れもあると思う。いったん登ってしまうと開き直りのようなもので、まな板のコイとまではいかなくてもメザシくらいでも何とかなる。たった1メートルも高くないステージでさえ、ものすごく緊張するのだが、何度か登っていると、平地と変わらなく感じる。むしろ変わるのは、自分自身との向き合い方だろうか。たとえばステージがなくとも、今が本番だと思えばその瞬間、その時が舞台になるという。言葉が示すようにステージは「段階」「時期」という意味もあり、納得できる。


025

ワインラベル

Wine Label

ワインボトルに貼ってある紙は、英語ではラベルと呼ぶが、フランス語ではエチケットと呼ばれる。え、エチケット?と思うかも知れないが、実は昔から通の間ではそう呼ぶらしい。この呼び方を知ることからいわゆるワインのお勉強が始まるわけだ。なぜかというと、それ以外にワインを知る手がかりがないからだ。あるのはボトルの形と色くらいなもの。あとは値段。それ以外、このワインが何者なのか、どこで作られどんな中身なのかは分からない。でも、ウマく出来ていてこのラベル、もといエチケットをよく読むと色んな事が分かってくる。もちろん最終的な味は飲んでみなくては分からないが。ワインがあまり得意でないという人は、大抵このエチケットの読み方がわからないだけ。産地、畑の名前、ワイナリー名、製造年、ブドウの品種、その他創業者にまつわるものやそのワインに関してのキャッチフレーズなど色々書かれている。ちなみに写真のワインは「シャトー・バラバック」ボルドー産、フロンサックAOC、2014年…など読み取れるけど、私が気に入ったのはワイナリーと畑の絵の方かな。


024

食べ合わせ

foodstuffs

誰にでもあると思う、食べ合わせ。中にはそんなものないという人もいるだろう。でもトンカツにキャベツとか寿司に醤油とか、あたりまえだろう…と思っている食べ物も、いわば食べ合わせといえるだろう。じゃがバターやじゃがいもにイカ塩から、アスパラガスにはマヨネーズ、考え出したら、いくらでも出てきそうだ。ある食べ物とある食べ物の組み合わせは単に味が合う以外にも、たとえば思い出の味だとか懐かしく食べた記憶などからということも想像できる。時には偶然その時、その食べ物の組み合わせになってしまったなんていうこともあり得る。写真はおやつで食べるものだが、なぜかこの組み合わせが気に入っている。売り場でこの二つが並んで売られていたら、まるでこちらの好みを見透かされたようで少しコワイほど。でも、それはいわばずっと昔から誰かが見つけたゴールデンコンビで、それを巧みに仕組まれていたかもしれないのだ。


023

Hashibukuro

chopsticks sack

割り箸はすでに世界中に知れ渡ってしまった。和食文化と共に。ただ、良い意味だけではない。割り箸の消費量は国内だけで年間約250億膳だそう。その9割以上が輸入らしい。そうなるとまさしくこれは環境問題だ。粋がって使っている場合ではないのかも知れない。その問題はともかくとして今日は箸袋の話だ。くだらない話といえばその通りかも知れない。時々、箸袋に色んな事が書いてある。ふと旅先などで見つけることがあるが、話によると箸袋コレクターもいるそうだ。写真の袋は有名な蟹飯の駅弁に付いていたもの。「蟹はよし そばもまた好し長万部」と語呂合わせがうまい。思わずフッと口元が緩んでから、やおら割り箸を割る。うまくできている。ただ、食べた後はゴミとして捨てられる運命なのだが、たまに爪楊枝が忍び込んでいて、思わず捨てようとした袋を漁ってしまうことも。なかなか働き者の袋ではある。さて、環境問題はどうする。


022

マニュアル

manual

説明書の歴史など、どなたかが調べているのだろうか。ものすごい数だとは思うが、きっとどこかで研究されているんだろうけど…。昔、プラモデルなどにも作り方などの紙が付属していた。家電やAV機器が盛んだった時代には、分厚い説明書や仕様書が同梱されていた。スイッチを入れるだけ、または誰が見てもそれしか使いようがないものは説明書などはいらないが、以前、コンピュータというものが登場してからは、数冊の説明書などあたりまえで、まるで新入学児童が買いそろえた教科書並みのボリュームになってしまった。写真は、2021年に発売されたiMacの箱に入っていたマニュアルだ。96mmの大きさの紙に簡単な絵がプリントされただけの、どう見ても役に立たないような内容だ。アップルのマニュアルは昔から一風変わっている、というかシンプルだ。製品に自信があるのでマニュアルなんて…と言わんばかり。確かに電源を入れると後は迷うことなく初期設定をすることが出来たが。


021

防犯カメラ

security cameras

自分が気づいていないことは、人はないものとする。ないと言い切るのは極端だが、とりあえずは頭の隅にでも置いてしまう。つまりそのことにはこだわらずかまわなくなってしまうものだ。ただ、そんのものの中に「防犯カメラ」の存在がある。気づかないことが多いが、改めて意識して注意してみるとけっこう存在する、というかこちらを見つめている。写真は、あるドラッグストアの店内の天井についているカメラだ。撮影しているかどうかもこちらかは分からない。でも最近、こちらからは分からない、と言うことが重要なのかと感じている。というのも、自分を注視されているなら、おおよその人は気づく。でもカメラは設置されているだけでその動作が分からない。設置している側は、わざと気づかれないようにしているわけではなく、こちらが気づかないだけだ。でもしっかり撮られているのだろう。写真のカメラには「撮影された個人映像はある期間をもって削除されます」と言い訳のような札がぶら下がっていた。誰かに指摘されたのだろうか。


020

大人のおもちゃ

teddy bear

日本ではあまり知られていがないが、テディベアは大人のおもちゃでもあるという。海外生まれのこの熊は、すでに世界中で有名だ。1902年ドイツのシュタイフ社で作られたと言われていて、同じ頃アメリカでも第6代アメリカ大統領ルーズベルトが狩りの中で熊を救ったことから生まれたと言う説もある。124歳をこえる年齢のマスコットの名前はルーズベルトの愛称テディだったのが由来だそうで、現在では年齢性別を問わず世界中で親しまれている。写真のキャラメル色したモヘヤのテディベアは1906年製のレプリカ版。45センチのセンターシームベアで2011年に販売されたモデル。世界限定750個販売で、我が家の熊はNo606というシリアル付きだ。確かに子供用ではなく、しっかりと気持ちを受け止めてくれる表情をしているのが頼もしい。今も居間のソファの一等席に座っている。


019

スウィーツ

sweets

甘いものが好きなのは、男女を問わないし年齢も問わない。甘いもの好きを子どもや女性と決めつけるのは昔の話だ。しかし数年前から言われている「スウィーツ」と言う言葉は好きになれない、というかいまだに馴染めない。突然雑誌系あたりから広まり、テレビなどでやたらと連呼してしまったため、定義もおおよその内容も、言葉先行でいまだにあやふやだ。でも不安定なままの方がこの「スウィーツと言う言葉には合っているのかも知れない。なぜかというと、元々のsweetsという英語はイギリスで言う駄菓子または砂糖がたっぷり入ったお菓子という意味で、上品なものには使わない。さらにこの言葉を皮肉っぽく使う言い方まであるようだ。日本語にはちゃんと、洋菓子、和菓子、駄菓子と名前があるのにわざわざスウィーツと呼んでいる。便利に何もかも一緒くたにすれば良いものでもない。そこには名前に込められ使われてきた歴史や文化があり、大切なものがあると思うからだ。最近は大福やおはぎまでスウィーツと呼び始めているのはどう考えてもおかしい。


018

メジャーリーグ

Major League Baseball

野球中継はあまり見ない。嫌いではないが好きでもないのが正直な答えか。でもどちらかというとアメリカの野球の方が好きだ。理由はいくつかあるが日本の野球があまり好きじゃないのは、野球そのものではなく、野球放送や、球場の音が好きではないのだと思う。まず、野球放送がやかましい。それとアナウンサーが野球好きが見ているという先入観で観戦する人を決めつけている。初めて見る人もいるわけだし。選手の名前などほとんど知らない。それと応援の鐘や太鼓の音もうるさい。ただの歓声なら分かるが。その点、アメリカの野球放送はビックリするほど静かだ。もちろん鐘や太鼓もない。決まったイニングの途中、音楽が流れることはあるが、ほとんどは静かなものだ。時々放送を見ていて音声が切れたのかと思うときがあるくらい静かだ。一度だけメジャーリーグの試合をアメリカの球場で見たことがあったが、やはりビックリするほど静かだったのを覚えている。ただ、ブーイングという観客が意思表示で出す声はけっこう球場内に響いていたが。


017

インデックスカード

Index Card

いつごろだっかは良く覚えていないが、プログラミングを少しかじっていた頃だったと思う。データーベースを扱うのが当時としてはコンピュータ技術の主な分野だった。カードを作り、データを記入して分類、同じフォーマットにするのがセオリーだった。データを集め集計し、分類や検索するプログラムをつくる。その大量のデータを希望どおりに処理出来るのがコンピュータの役目というわけだ。このときは、紙のカードの代わりにデータ領域を複数用意して、データーを入力していく。表計算と同じ原理だ。これは後から知ったことなのだが、同じサイズの紙のカードに書式を決めてデータを書き込む「情報カード」というものがすでに1700年代に分類学の父と呼ばれるカール・フォン・リンネによって発案されていたという。植物などを研究していた中で考え出されたのだろう。その後コンピュータが登場するまで、分類する手軽な方法として活躍する。


016

十字架

cross

恐れ多いテーマかも知れないが、深くは入らないように書く。子供の頃から何となく見てきたあちこちの十字架。遠くはクリスマスの時に誘われて入った教会の思い出。友人の結婚式のパンフレット作りで絵になる教会を探したこと。海外旅行の途中でよく見かけた石造りの立派な教会の上に立つ重厚な十字架。ミラノの大聖堂の屋根に輝く黄金の像と十字架など、思い出すとけっこう数多くあるものだ。追加するならまだまだある。アメリカ西海岸の街の郊外に緑広がるひっそりとした墓地の十字架。南国の遠くの小島に眠るヒーローの墓に刻まれた十字架…。あげればきりがないのでこの辺でやめるが、宗教と離れていてもこれだけ見てきた十字架は、ランドマークを超えて、自分の印象のアルバムにしっかりと刻まれている。たった二本の交差した形は、宗教を超えて世界の人々の心にもきっと刻まれているのだろう。


015

毛抜き

tweezers

色んな呼び名があり、決まらないのがこの道具だ。おそらく、何気ない道具だが一家に一個はあるだろう。普段は余りお世話にはならないが、必要なときは、けっこう焦る場合が多い。いざ探すとなかなか出てこないのもこの道具の特徴か。とげ抜き、毛抜き、まつげ抜き、糸抜き、骨抜きなど多くの呼び名があるが、要はピンセットだ。英語ではピンセットまたはニッパーなどと大雑把にも呼ばれる。確かに何かをつかみ引っ張るものだ。大きいか小さいかは問題ではないのかも知れないが。日本には同じ毛抜きと言っても実は色々と種類も多く、奥も深い。写真のものは今使っているものでステンレス製。本手打ち毛抜きといって長い歴史がある老舗「倉田製作所」製。正確には倉田福太郎のもの。ひとつひとつ金槌で叩いて作っていて機械作りではない。たかが毛抜きだが、日本刀作りにも通じるもの。もはや「たかが…」とは呼べない優れものだ。もちろん抜けもいい。まるで、痛くもなくヘンな表現だが気持ちよく抜ける。


014

クルマの写真

Photos of cars

今まですべてではないが、自分が長年乗ってきた車の写真は、なるべく撮っている。マイカーの写真など撮る人は少ないとは思うが、自分の車には思い出がたくさんあるものだ。気にしない人には単なる走る道具だろう。それも自然なことだ。なぜなら使っていた洗濯機や冷蔵庫の写真を撮ることがないように。ただ、なぜかクルマは写真の対象になるものだ。その形なのか、運転してきた長い時間がそうさせるのか、分からないが。写真のクルマもすでに10年を過ぎて乗ってきた。11万キロ超えだ。でも意識してわざわざクルマの写真を撮りには行かない。ドライブの途中でふとした時間、振り返るとそこに自分のクルマがある、そんなときにシャッターを切るのが多い。きっとあとで懐かしい思い出となってその時の気温や風、ドライブの記憶などがよみがえることだろう。いわば走ったときや行った場所のメモリーとして。


013

温度計

thermometer

毎回、ネタに困るか、と言ったら実はそう困らないのがホンネだ。ただどう書こうかとか、硬く難しいものになりそうだ、とかで悩む。別に難しくなってもいいのだが、クセで、なるべく文章は分かりやすく読みやすくと思っているものだから、それに合わないテーマだと避けてしまう。で、今日は温度計だ。海外でホテルなどに泊まると室温計が付いているところがある。大抵華氏表示だ。摂氏に治すと23度がおおよそ73度くらいだろうか。最初、華氏表示を見たときは正直ビックリした。73度と表示されているのだ。もちろんすぐに華氏表示だとは分かったが、さてそうなると摂氏何度か。何だか急に数字を見ていると暑く感じたものだ。今ならだいぶ慣れたのでおおよそ23度くらいか…、などと冷静にいられるが。デジタル表示の温度計が多い中、アナログ表示の温度計はやはり見やすい。最近は古いものがアンティークブームで人気がある。写真の小さな木製の温度計は確かドイツ製だったと思う。時を超えて見る人に教えてくれる。


012

話題

subject

どうしても、話題が硬めのものになってしまう。自分でも少し重たいな、と感じているが、もしかすると気持ちが重くなってきている証拠かもしれない。つまり気をつけないと深みにはまってしまうかも、ということか…。でも軽めのなんともない話題を探すのも実は簡単ではない。以前、仕事でもそう感じたことがある。仕事なら何とかしなければどうしようもないので何とかする方法をいくつか使ってきたが、仕事を離れた「素」の今はとらわれることも、締切に追われることもないはずなのに、どうしてか?いや、この一日一文を書くという締切にも追われているのだろう。自分で決めて自分で首を絞めている自分。何ともはや。


011

照明

Lighting

電球が普及したのは、ほんの140年前だった。それまで植物油などを灯火にしていた時代は終わり、どこでもいつでも明るい照明が手に入るようになる。それによって闇もまた、なくなっていった。そして明るくすることが、あたりまえというか、近代的という考えに日本人は進んでゆく。室内の照明は明るく影がなくなり、陰影という光と影の文化から遠ざかった。特にどこの家庭でも天井にメイン照明が付き室内を明るく照らしている。明るさが豊かさの象徴として。しかし、明るさとは暗さがあってこその明かりの存在が際立つ。日本人が培ってきた明と暗の文化はどこかへ忘れ去られてきているのかも知れない。LEDの普及でさらに影のない明るさが増えてきている。


010

モバイル

mobile

今から24年前の写真だ。Air-Doの機内で自分の席を撮ったスナップ写真だが、不思議なものは何もないように見える。しかし、倒した機内の小さなテーブルでキーボードを広げていたのはおそらく私一人だったと思う。そして周りの乗客が不思議な顔をして見ていたのを思い出す。それほどこの時代には珍しい風景だった。キーボードは折りたたみ式のものでターガス製、接続している携帯風のものは、いまでは見なくなったPDAと呼ばれる電子メモ。正確にはバイザー(Visor)という。端子でキーボードにも繋がり、テキストを打つことが出来る。PDAの上部にはモデムカードが差し込んであり電波が飛んでいる場所ならメール送信が出来たが、もちろんこの時代は機内には携帯電波もWi-Fi電波もなかった。これから5年後にiPhoneが登場する。やっていることは現在と何ら変わらない。モバイルという言葉もまだそれほど定着していなかった時代だ。


009

駐車場

Parking Area

駐車場でいつも思うのは、クルマを降りてから出入り口に近い所に多くの人が止めたがることだ。確かに車に乗って来るくらいだから、降りてから歩くのが嫌いだと言う人も多いのだろうけど、やたらと、どこの駐車場も施設の出入り口付近からクルマが埋まってくる。私はどちらかというと駐車する操作が苦手だ。面倒くさいというのが本当かも知れない。そんなことで、なるべく左右前後に駐車しているクルマがない広い場所を選んで止める。それと隣の車とギリギリのスペースで駐車したことで、ドアパンチなど、気分の悪いキズをつけられるのもイヤだし。だから当然、出入り口からは遠くなる。少し悔しい気持ちも残るが、歩く運動が少しでも多く出来た、と思うようにしている。私にとって駐車場はウォーキングエリアだ。


008

仮想空間

Virtual space

数年前までは、確かに仮想空間とは、現実的な空間と区別していた概念が一般的だったと思う。しかし、考えてみると現実にあるのに仮想ととらえていたのがサイバースペース…つまりインターネットなどの目には見えないが存在しているものだ。日本語で相当するものとしては電脳空間と言う言葉だろうか。結局目に見えないものだけに言葉でしかとらえどころがない。しかし、その言葉が増殖に増殖を重ね、哲学、文学、アート、経済、その他あらゆる世界を侵食して拡張し続けてしまっている。もはや、とらえどころがない数の言葉として増えてしまった。そして、言葉を超えたスペースとして存在感を増している。もう仮想とは呼べない現実がそこにはある。しかし、人は仮想が苦手だ。楽しめる仮想のうちはいいのだが、すでに現実化してしまった「仮想」には歯が立たない。サイバーテロやSNS空間での差別や混乱、そしてそこから起こる犯罪。まるで仮想が現実世界を包み込んでしまう勢いでもある。


007

フレイル

Frailty

書けなくなったことは数日前に書いたが、今度は書くことすら忘れてしまった。それはもうしかたがないと思っているのだが、なんとも情けない。決めたこと自体を忘れるのだから、もうすべもない。だが、そこはそこで気を取り直して、忘れた日の分まで書くことにする。テーマはまだ決まっていないが、書きたいことはけっこう溜まっているものだ。しかし組立が難しい。文章というものは書けば書くほど易しくなるものではないらしい。フレイルだが、加齢による体の衰えのことだ。2014年に日本老年医学会が提唱した概念で「Frailty(虚弱)」の日本語訳という。健康な状態と要介護状態の間ということで、体の機能や認知機能の低下が見られる状態のことをさすという、つまりこれから先は努力次第ということだ。介護が必要になるか、それとも努力して今の健康状態を維持していくか。書けるか、書けないか、はたまた書こうということを覚えていられるか大事な瀬戸際の状態。それが現在の私のフレイルだ。


006

パレイドリア現象

Pareidolia

三つの点の位置によって、人は同じ種類の人の顔として認識するという。いわゆる顔に見える、というやつだ。目の二点と口の一点で、確かに顔に見えるが、これは同じ仲間かどうか判断でき、そのことによって生き延びられるための能力だそうだ。生まれつきに持っているらしい。よく幼児が相手の顔をじっと見つめることがあるが、きっとそうなのだろう。この能力のせいで、いろんな生き物ではないものまで顔に見えてしまう。いいような、悪いようなチカラだが、昔からの言い伝えや伝承などに登場する生き物も、もしかすると単に三つの点かも知れない。そう考えると、なんとも夢がなくなりそうだが要は、見る側のココロの持ち方なら、別の夢も広がるかも知れない。雲や壁のシミや色んな機械などの中に、いくつもの顔をみつけるという楽しみも生まれるだろう。果たして今日はいくつ見つけるとか。


005

現金

Cash

2021年に映画俳優、田中邦衛が亡くなった。代表作ドラマ「北の国から ’87初恋」のエンディングで、純が東京へ旅立つ日、走り出したトラックの中で運転手が父から預かった現金を純へ渡す場面。その泥の付いた紙幣を見て純が涙を流す。そのシーンを見直してみた。そこで改めて気がついたのは、トラック運転手役の古尾谷雅人のセリフだ。「ピン札に泥が付いている」「オレは受け取れん!」「おまえの宝にしろ!」と純に言う。現金の紙幣には、モノとしての表現がある。デジタルマネーでそれが表現できるのだろうか。使い古され、汚れ、しわくちゃの紙幣はそれまでのドラマを秘めている。どんな場所でどんな人から人へ。そして今、自分の手の中へ。貨幣としての意味と重さに加え、渡ってきた時間とドラマを想像してみる。中国政府はデジタルマネーの実験を中国国内で始めたそうだ。世界制覇を目指す強力な武器にすることを目指してのことか。日本でも日銀が研究を始めるという。ただ数字だけの仮想通貨にもあらたなドラマが生まれるのだろうか。


004

水と光

water

水素エネルギーが注目だそう。水素は太陽光と水があれば作ることが出来る。カーボンニュートラルの救世主といわれるが、その貯蔵方法が問題らしい。大量のタンクが必要になる。水素は貯蔵に関しては効率が悪いのが理由だ。だがある化合物を組み合わせるとその貯蔵量が大幅に拡張されることがわかった。2020年5月に材料研究機構(NIMS)が発見した、磁気冷凍材料の「ニホウ化ホルニウム」がその物質。もちろん専門的な話題だが、関わりは大いにある話しだ。多くの人が知らないだけで、大きな発見だろう。月面で水素を作る事も考えている計画もある。月面には曇りの時間は無いから、太陽光を一定時間確保できる場所だ。あとは水を地下から探し出せば可能になる技術といえる。さらに火星でも生かせるだろう。あまりニュースにはならないが、火星探査で各国が競うのも本当の理由はこの辺が絡んでいるのだろう。夢と現実問題が実は隣り合わせだ。


003

講談

Kodan

講談という伝統芸能があるが、メジャーなメディアではあまり光をあびることはない。しかし、よく調べるとけっこう今の時代でも魅力ある芸能だ。近年では、女性が講談師を目指すことが多いと聞く。しゃべることに女性の方が興味があるのかはよくわからないが、講談師というと男性の声をイメージするのは今や古いのかも知れない。時々聞く機会があると聞いてみる。やはり長い時間の中で繰り返し練られた話しは小気味良く楽しめる。明治末期に「講談本」が人気だったそうだ。講談社の名前の由来もここかららしい。講談の演目としては、歴史実録、戦記物、仇討ち、三尺物などが多いが、最近人気のアニメなどにも通じるテーマもあり色あせない。「カラス「かー」で夜が明ける」。言葉一つで場面から時間軸までガラッと変えてしまう。また、その転換スピードも魅力だ。


002

ストロベリームーン

strawberry moon

今から5年ほど前の夜、十数年ぶりの満月と皆既月食が重なった。この後は15年後、という話しだったので月の写真を撮れるのももうムリかもしれないと思い、何とか数枚の写真を撮った。月は何度も撮ったことはあるけれど、その度にファインダーに見える月を見て思うのは、昔の人たちはこの月をどうとらえたのだろうかということだ。科学的な知識も少なく、夜になるとひょっこりと空に浮かぶ丸いもの。さぞや不思議なものと見えたのかも知れない。ただ、生まれたときからあるのもだし、不思議なものといえば、雷や虹、他にも動物たちの行動や雨嵐など、自然すべてが不思議の世界だったにちがいない。そんな中では不思議があたりまえで、そのとらえ方は今より自由だったのかも知れない。昔の世界も過酷で現実的であるけれど、一方ではとらえ方は自由で夢の世界でもあるし、空想がそのとらえ方を豊かにしてくれただろう。米国の先住民はすべての満月にいろんな名を付けた。6月の満月はストロベリームーンだそうだ。収穫の時期を迎えたイチゴにちなんだらしい。まさに夢の話しだ。


001

フレンチライラック

French Lilac

自慢じゃないが、花の名前はあまり知らない。覚えられないと言った方が正確だろう。自分の記憶は体験に基づいているものがほとんどだ。だから体験を伴わない名前はそもそもアタマには入らないことになっている。情けないがしかたがない。でもその数少ない花の名前でライラックは知っている。フランス語でリラ。この花にあまり体験は伴わないが、見れば名前が出てくる。この花はいわゆる外来種で寒冷地に生息する花らしい。カナダ、アメリカ、フランス、ドイツ、ベルギーなど、どちらかというと北に属する地域だ。同属でハシドイという花もあるそうでこれも冷涼な気候を好む。花がブドウの房のように咲き、観賞用の庭木に最適だ。札幌の花としても有名で祭りもあるが、いかにも外国北国文化で発展してきた街に似合う花だと思う。札幌の川下公園では、5月下旬から7月上旬まで200種にもおよぶ世界のライラックが見られる。「すみれの花咲く頃」という歌があるが、原曲は「再び白いライラックが咲いたら」という曲だ。






June 15, 2026〜